ちょっと良い話をご紹介です。 フランス人は、日本の文化を理解し、尊重してくれます。


自国文化を大事にすると同時に、異文化に対しても寛容で、それに敬意を払ってくれます。

シラク大統領の日本通は、彼一人という訳ではないのです。


それが偉大なフランス共和国のあり方かもしれません。


フランス語で話す限り、正確にはフランス語で話そうと努力している限り、同朋としての扱いを受けます。人種や肌の色などは無関係です。 差別がないとは言えませんが、排他的な欧州諸国の中で、フランスは特異です。東洋人であるが故の、侮蔑、差別を受けたことがありません。バルセロナ、バレンシアも旧ローマ帝国の属領だったので、そうですね。


http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080119i402.htm


長野・木曽の古民家、パリへ移設…文化交流の“夢”実現



江戸時代末期の文久年間(1861~64年)に建てられた長野県木曽町の民家が、パリの博物館にそっくり移設され、今春にも公開されることになった。  フランス人の女性民俗学研究家が家主から譲り受け、日本企業などの支援を得て実現させたが、これまでに要した年月は35年。今年が日仏修好通商条約の締結から150年となることもあり、研究家は「仏国民に日本の昔の庶民の生活を知ってもらう機会にしたい」と意気込んでいる。  この研究家は、仏国立科学研究所で主任研究員を務めるジャーヌ・コビさん。民家は、木曽町で林業を営む畑中広治さん(53)が所有していた。まだ学生だったコビさんが、日本の民俗に興味を抱き、古い民家が残る長野県開田村(当時)を訪ねたのは約40年前。そこで、畑中さんの父親、正治さん(故人)一家との交流が始まった。  移設話が最初に持ち上がったのは、一家が新居に引っ越した1973年。空き家になった民家の解体話を聞いたコビさんが、正治さんに「もったいないから保存して」と懇請したところ、「じゃあフランスへ持って行け」と勧められたことがきっかけだった。  コビさんはその後、四半世紀を費やし、解体と運搬、再建を支援してくれる人を探し回った。日本政府や日本企業のスポンサーが集まり、99年にフランスへの移送が実現した。だが、移送後、今度は再建する民家の引き受け手がなかなか見つからなかった。  パリ16区の国立自然史博物館に展示スペースが確保できたのは2006年。日本から大工や建築家を呼び、広さ約89平方メートルの家が再建され、囲炉裏や自在鉤(かぎ)のある居間、古い農作業具なども再現された。  同館では、早ければ4月にも公開したい考えだ。  父の遺志を継いで家の移送に協力した広治さんと妻のむつみさんはこのほど、パリを訪れ、旧家と対面した。広治さんは「感無量です。別荘ができたよう」と懐かしんでいた。 (2008年1月19日9時21分 読売新聞)