本年6月のスタンフォード大学の学部生(Undergraduate)の卒業式で、スティーブ・ジョブスが卒業生に送ったお祝いのスピーチは、鳥肌が立つほど素晴らしいものです。既にインターネットでご覧になった方も多いかもしれません。
小生が尊敬・信頼するカリフォルニア在住の友人は、ローファームでの激務から帰る電車の中でこれを読んで、感動のあまり思わず周りも構わずにボロボロ泣いてしまったそうです。
彼は、
「今後人生の方向性に迷った時など(日常茶飯事ですが)、これを読み返せば
きっとしっかり立ち直れるような気がしています。やはりジョブス氏は只者で
はないと改めて納得した次第です。
*"Your time is limited, so don't waste it living somene else's life."
"Have the courage to follow your heart and intuition."
*そして魂にズシンと響く「とどめ」は、*"Stay Hungry. Stay Foolish."*
--既に私の胸に深く刻み込まれ、今後ずっと消えることはないでしょう。」
と内心を教えてくれました。
下記にはウェブで掴める翻訳を載せておきます。
アップル・コンピュータ創設CEO、スティーブ・ジョブス氏
のスタンフォード大学講演
世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実は、私は大学を出ていませんので、これが今までで最も大学卒業に近い経験になります。
本日は皆さんに、私自身の人生から得た3つの話を紹介します。たった3つです。
☆ ☆ ☆
最初の話は、ドット(点)を繋ぐです。
私はリード大学を半年で退学しました。しかし、本当に辞めるまで、18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。では、なぜ辞めたのか?ということですが、それは私が生まれる前に遡ります。
私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で、私が生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。彼女は「育ての親は大卒以上」と固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていました。ところがいざ私が生まれると最後の土壇場になって「やっぱり女の子が欲しい」と、なってしまった。
そこで、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまいましたが、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、生母も後で知ったことですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし、父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生母は養子縁組の最終書類へのサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの生母も態度を和らげた、というのです。
こうして私の人生はスタートしました。17年後、私は本当に大学に入りましたが、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったのです。労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていきました。
6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全て上手く行くと信じてね。
もちろん当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から、興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めて、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけたわけです。
夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらっていたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜は、いつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院での慈善事業の給食辿り着いて、やっとまともなメシにありつける。これが滅茶苦茶美味かったなぁ。
しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきました。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィが施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
セリフやサンセリフの書体を学び、活字の組合せに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまいました。
こういったことは、どれも生きていく上で、何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんです。そこで、我々はその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
もし私が大学であの科目に寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかったでしょう。また、ウィンドウズはマックを模倣したものなので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことでしょう。
私がドロップアウト(退学)していなかったら、カリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今のような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで、ドットを繋げるなんてできませんでした。しかし、10年後に振り返ってみると、これほど明瞭に見通せることもありません。まさにそこなんです。
もう一度言いますと、未来に先回りしてドットを繋げて見ることはできない。君たちにできるのは、過去を振り返ってみて繋げることだけだ。だからこそ、バラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。
☆ ☆ ☆
2番目の話は、愛についてです。
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができました。実家のガレージで、ウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
自分が始めた会社で、どうしてクビになるの?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。
アップルが大きくなったので、私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして、最初の1年かそこらは順調に行った。しかし、互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたということです。しかも、私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうボロボロでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このような最悪の形で全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで、一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやってきた仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちにまったく変化を与えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だから、もう一度、ゼロから出直してみることに決めたんです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで、私はまた一つ、自分の人生で最も創造的な時代の絶頂期に足を踏み出すことができた訳です。
それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いがけない方向に物事が進み、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は、現在アップルが進める企業再生努力の中核になっています。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
アップルをクビになっていなかったら、こうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。
それは本当に苦い薬でしたよ。でも患者には苦い薬が必要なんでしょう。人生には時としてレンガで頭を殴られるような酷いことも起こります。でも、信念を放り投げてはいけません。私が挫けずにやってこれたのは、ただ一つ、自分の仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分の好きなことを見つけなければいけません。それは仕事でも恋愛でも根っこは同じです。君たちにとって、仕事はこれからの人生の大きな部分を占めるでしょうが、自分が本当に心底から満足を得たいなら、進むべき道はただ一つ。
自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかありません。そして、素晴らしい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ。
好きなことを仕事にすることです。
まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまったら駄目ですよ。心の問題と一緒で、そういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで、年を重ねるごとにどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけません。
☆ ☆ ☆
3番目の話は、死についてです。
私は17の時、このような言葉をどこかで読みました。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすれば、いずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう。」
それは強烈な印象を与える言葉でした。そして、それから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分に次のように問い掛けるのを日課としてきました。
「今日が人生最後の日だったら、今日予定していることを私は本当にやりたいと考えるだろうか?」
それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは、我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていくものだからです。
そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば、自分が何か失うのではないかとあくせくしてしまう思考の落とし穴を回避できますし、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちは素っ裸です。自分の心の赴くままに生きてはいけないという理由など、何一つないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたのですが、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていました。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に言いました。これは治療不能な種類の癌である、ほぼ断定していい、と。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
要は、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月で。また、自分の家族が、なるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。つまり、告別ということです。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そして、その日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらいました。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話では、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したそうです。何故なら、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これが今までで最も死に近い経験になります。この先、何十年かは、これ以上近い経験はないことを願っています。以前の私にとって死は、意識すると役に立つけれども、純粋に頭の中での概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから、前よりも多少は確信を持って君たちに言えるのですが、誰も死にたい人なんていません。天国に行きたいと願う人ですら、まさか、そこに行くために死にたいとは思わない訳です。しかし、死は我々みんなが共有する終着点です。かつて、そこから逃れられた人は誰一人としていない。それは、そうあるべきことだら、そうなっている訳です。
何故なら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは、生の変換代理人、つまり、古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかし、いつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって、一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で申し訳ありませんが、でもそれが紛れもない真実です。
君たちの時間は限られている。
だから、自分以外の他の誰かのための人生を生きて、貴重な人生を無駄にする暇なんかないのです。ドグマという罠に、絡め取られてはいけません。それは、他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということです。その他大勢の意見という雑音に対して、自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というものは、どうしたわけか、君が本当になりたいことが何なのか、もうとっくの昔に知っている訳です。だから、それ以外のことは全て、二の次でいいんです。
☆ ☆ ☆
私が若い頃、「全地球カタログ」というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。それはスチュアート・ブランドという男が、ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが紙面を実に生き生きしたものに仕上げていました。
時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は、タイプライター、はさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
スチュアートと彼のチームは、この「全地球カタログ」の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプなら、ヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。
それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。
「Stay hungry, stay foolish.」それからというもの、私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきました。そして、今、卒業して新たな人生に踏み出そうとしている君たちにも、同じことを願って止みません。
Stay hungry, stay foolish.
ご清聴ありがとうございました。
