白洲次郎の代名詞であるプリンシプル。
原理原則、行動指針という意味合いを持ちますが、
これには決まりきったもの、これが正しいというものは
ないのではないか、と思うに至りました。
つまり、プリンシプルというものは、
持ってる人は持っていて、それは個人特有のもので、
他人と同じものである必要はないということです。
例えば、「赤信号は渡らない」という
プリンシプルを持っている人もいれば、
「車がいなければ赤信号でも渡る」という
プリンシプルを持っている人もいるということです。
共通しているのは、他人に何を言われても、
思われても、曲げないのがプリンシプルであり、
自分のプリンシプルを他人に表明したときに
周囲を一応それなりに納得させることができるものが、
ちゃんとしたプリンシプルだということになります。
そうでないものは、単なる頑固、偏屈、詭弁、
変わり者の類になるということです。
周囲が納得していないので。
周囲を納得させるには、自分の中にちゃんと軸があって、
それをプリンシプルとして確立していることが必要です。
「なんとなく赤信号では渡らない」ではなく、
「交通ルールは守るのを信条としている」である必要がある。
それがプリンシプルとして成り立つ条件です。
合気道の先生が、少し洒落た私の雪駄を見て、
「それは武道家の履く雪駄じゃね~な」と言いましたが、
それが先生の武道家に対するプリンシプルの一環ということです。
僕としては、「身に付けるものは気にいったものを」という
プリンシプルを持っているので、先生に何を言われようと気にしません。
これがプリンシプルを持つもの同士の付き合いです。
プリンシプルを持つ人には、一家言がある。
その言葉の裏にはプリンシプルに照らした考えがあるから。
それが僕の至った答えです。
原理原則、行動指針という意味合いを持ちますが、
これには決まりきったもの、これが正しいというものは
ないのではないか、と思うに至りました。
つまり、プリンシプルというものは、
持ってる人は持っていて、それは個人特有のもので、
他人と同じものである必要はないということです。
例えば、「赤信号は渡らない」という
プリンシプルを持っている人もいれば、
「車がいなければ赤信号でも渡る」という
プリンシプルを持っている人もいるということです。
共通しているのは、他人に何を言われても、
思われても、曲げないのがプリンシプルであり、
自分のプリンシプルを他人に表明したときに
周囲を一応それなりに納得させることができるものが、
ちゃんとしたプリンシプルだということになります。
そうでないものは、単なる頑固、偏屈、詭弁、
変わり者の類になるということです。
周囲が納得していないので。
周囲を納得させるには、自分の中にちゃんと軸があって、
それをプリンシプルとして確立していることが必要です。
「なんとなく赤信号では渡らない」ではなく、
「交通ルールは守るのを信条としている」である必要がある。
それがプリンシプルとして成り立つ条件です。
合気道の先生が、少し洒落た私の雪駄を見て、
「それは武道家の履く雪駄じゃね~な」と言いましたが、
それが先生の武道家に対するプリンシプルの一環ということです。
僕としては、「身に付けるものは気にいったものを」という
プリンシプルを持っているので、先生に何を言われようと気にしません。
これがプリンシプルを持つもの同士の付き合いです。
プリンシプルを持つ人には、一家言がある。
その言葉の裏にはプリンシプルに照らした考えがあるから。
それが僕の至った答えです。