やるべき人がやるべきことやれば、
私の仕事は要らないのはないかと、
最近思うことがあります。
例えば、ライターが完璧な原稿をあげてくれば、
カメラマンが意図通りの撮影を現場でやってくれれば、
デザイナーが意図を組んだデザインを作ってくれば、
つなぎ役の私はそれらをつなげて提出するだけですみます。
それが、ライターの原稿が少しずれていると、
私が軌道修正をしますし、時には修正もします。
いくら事前に撮影趣旨をカメラマンに説明しても
カメラマンだけだと現場は任せることはできません。
デザイナーの腕がいいと、あまり直しはいらないのですが、
それでもコピーやラフは私が書かないといけない。
なので、現状、私の仕事ははなくなることはないのですが、
でもそれぞれがやるべきことを完璧にやれば、
なくすことは可能だと思うんですね。
なんで自分の仕事をなくすようなことを考えるのかって?
無駄なものはそぎ落としていくべきだと考えるからです。
たとえそれが自分の仕事であろうと。
ないものはなくていい。
それが淘汰であり、進化だと思います。
私の仕事は要らないのはないかと、
最近思うことがあります。
例えば、ライターが完璧な原稿をあげてくれば、
カメラマンが意図通りの撮影を現場でやってくれれば、
デザイナーが意図を組んだデザインを作ってくれば、
つなぎ役の私はそれらをつなげて提出するだけですみます。
それが、ライターの原稿が少しずれていると、
私が軌道修正をしますし、時には修正もします。
いくら事前に撮影趣旨をカメラマンに説明しても
カメラマンだけだと現場は任せることはできません。
デザイナーの腕がいいと、あまり直しはいらないのですが、
それでもコピーやラフは私が書かないといけない。
なので、現状、私の仕事ははなくなることはないのですが、
でもそれぞれがやるべきことを完璧にやれば、
なくすことは可能だと思うんですね。
なんで自分の仕事をなくすようなことを考えるのかって?
無駄なものはそぎ落としていくべきだと考えるからです。
たとえそれが自分の仕事であろうと。
ないものはなくていい。
それが淘汰であり、進化だと思います。