聖徳太子の言葉だとされています。
世の中の事は、実体のない、仮のものだと。
この言葉に続くのは、唯仏是真という言葉。
これは、唯、仏だけが真実という意味。
言葉の上辺だけをさらうと、
金や名誉などは一時のものでしかなく、
仏だけが真実だから仏を信じなさいとなります。
これだと、「ああそうですか」となるだけで、
「確かに!」とは普通はならんでしょう。
この言葉を理解するには、
「空」の概念を理解している必要があります。
「空」とは、ゼロではなく空である。
あるのだが、なく、全くないわけでもない。
なんだか禅問答のようですが、それが空の概念です。
空気なんからも空の概念の中に入るかもしれません。
空気は目に見えないし、つかむこともできないけど、
存在はしてます。水の中に入れば見ることもできる。
目に見える、見えないということではなく、
存在すらが、あるともいえるし、同時にないともいえる。
つまり不変ではないということです。
例えば、高層マンション。
マンションは確かに存在している。堂々と。
でも、次の一瞬、大地震がきたら、跡形もなくなくなるかもしれない。
今は確かに存在しているが、その存在は不変ではない。
これが世間虚仮という感覚です。
信頼なんかも虚仮といえるかもしれません。
あれだけ信頼していた人に、裏切られることもある。
どの瞬間に何があったのかは分からないが、
確かに存在していたはずのものが、今はなくなっている。
だからといって、世の中なにも信じられないということではなく、
世間にあるものは全てそのようなあやふやな存在でしかないということ。
それを認識して付き合っていく、受け止めていく。
そうしてるうちに不変なものが見えてくる。
それが何かといったら、仏だと。
仏の存在は不変であり、仏はなくならないし、裏切らない。
まあ、そもそも仏とはなんぞや?ということにもなりますけど。
世の中の事は、実体のない、仮のものだと。
この言葉に続くのは、唯仏是真という言葉。
これは、唯、仏だけが真実という意味。
言葉の上辺だけをさらうと、
金や名誉などは一時のものでしかなく、
仏だけが真実だから仏を信じなさいとなります。
これだと、「ああそうですか」となるだけで、
「確かに!」とは普通はならんでしょう。
この言葉を理解するには、
「空」の概念を理解している必要があります。
「空」とは、ゼロではなく空である。
あるのだが、なく、全くないわけでもない。
なんだか禅問答のようですが、それが空の概念です。
空気なんからも空の概念の中に入るかもしれません。
空気は目に見えないし、つかむこともできないけど、
存在はしてます。水の中に入れば見ることもできる。
目に見える、見えないということではなく、
存在すらが、あるともいえるし、同時にないともいえる。
つまり不変ではないということです。
例えば、高層マンション。
マンションは確かに存在している。堂々と。
でも、次の一瞬、大地震がきたら、跡形もなくなくなるかもしれない。
今は確かに存在しているが、その存在は不変ではない。
これが世間虚仮という感覚です。
信頼なんかも虚仮といえるかもしれません。
あれだけ信頼していた人に、裏切られることもある。
どの瞬間に何があったのかは分からないが、
確かに存在していたはずのものが、今はなくなっている。
だからといって、世の中なにも信じられないということではなく、
世間にあるものは全てそのようなあやふやな存在でしかないということ。
それを認識して付き合っていく、受け止めていく。
そうしてるうちに不変なものが見えてくる。
それが何かといったら、仏だと。
仏の存在は不変であり、仏はなくならないし、裏切らない。
まあ、そもそも仏とはなんぞや?ということにもなりますけど。