曹洞宗開祖の道元禅師は覚りについ てこう言ってます。
まず、全ての人に備わっている「仏性(仏になる種)」の存在に
自ら気付くことが必要であると。
これは、誰かに教えてもらうのではなく、自ら気付くのが肝心だと。
次に気付いたことを「意識」することが必要であると。
気付いただけでは役に立たないと。
意識できて初めて役に立つと。
そして、たとえ気付いて意識できても、
理論化(言語化)し、人を導くことができなければ、何にもならないと。
自分だけの枠で収めるなということですね。
これは覚りでなくても、何かの発見でも同じことが言えます。
薄々気付いてたからこそ、意識に上ってくるわけです。
つまり、気付きに気付く。
その上で、その気付きを言語化して、
人に伝えることができないと何にもならないと。
自己満足で終わる気付きは何にもならないと。
自己満足で留まっていては、もちろん人のためにもならないし、
逆に人に伝えることで自分のものになるということでもあります。
仏教を人生に活かすとはこういうことだと思います。
まず、全ての人に備わっている「仏性(仏になる種)」の存在に
自ら気付くことが必要であると。
これは、誰かに教えてもらうのではなく、自ら気付くのが肝心だと。
次に気付いたことを「意識」することが必要であると。
気付いただけでは役に立たないと。
意識できて初めて役に立つと。
そして、たとえ気付いて意識できても、
理論化(言語化)し、人を導くことができなければ、何にもならないと。
自分だけの枠で収めるなということですね。
これは覚りでなくても、何かの発見でも同じことが言えます。
薄々気付いてたからこそ、意識に上ってくるわけです。
つまり、気付きに気付く。
その上で、その気付きを言語化して、
人に伝えることができないと何にもならないと。
自己満足で終わる気付きは何にもならないと。
自己満足で留まっていては、もちろん人のためにもならないし、
逆に人に伝えることで自分のものになるということでもあります。
仏教を人生に活かすとはこういうことだと思います。