私たち大人は「ランチだけど、何食べたい?」
なんて聞かれた場合、
「なんでもいいよ!
」
(確か、この人はイタリアンが好きだったかな・・・?)
と、気を遣ってこんな風に答えたりします。
私はどちらかというとそういうタイプです。
中には”自分の意見はしっかり言う
”人もいるでしょう。
でも、子供に関して言えばこの言葉はあまり
パワーを感じる言葉ではありません
もちろん、子供にも性格と言うものがあって
一概には言えませんが・・・。
「何飲む?」
「なんでもいい・・・」
「何して遊ぶ?」
「なんでもいい・・・」
「AとBどっちがいい?」
「どっちでもいい・・・」
子供たちの会話を聞いていて、
この言葉がとても引っかかります
大人の気を遣って言っているのとはちょっと違う。
”投げやり”的な雰囲気さえ感じられます
甥っ子においては親に尋ねられた事の大半を
この言葉で返しています。
でもなんとなくこの子供たちの気持ち、
わからなくもありません
それは私が以前長女に対して、有無を言わせなかったからです。
とりあえず意見を聞いたとしても、結局は私が導きたい
答えの方へあれこれ言って誘導する訳です
そういう事が重なると、子供はきっと
「結局お母さんの言う通りにしなきゃいけない」
そう感じるに違いありません。
その結果、何に関しても
「どっちでも(なんでも)いい・・・」
という言葉を多く使うようになるような気がします。
私は長女が心を壊してしまってから、
極力判断は子供たちに委ね、よっぽどでないと
反対しないようになりました。
そのせいか、今ではうちの子供たちは
「〇〇がいい」という事をはっきり言えているような気がします
なんて聞かれた場合、
「なんでもいいよ!
」(確か、この人はイタリアンが好きだったかな・・・?)
と、気を遣ってこんな風に答えたりします。
私はどちらかというとそういうタイプです。
中には”自分の意見はしっかり言う
”人もいるでしょう。でも、子供に関して言えばこの言葉はあまり
パワーを感じる言葉ではありません

もちろん、子供にも性格と言うものがあって
一概には言えませんが・・・。
「何飲む?」
「なんでもいい・・・」
「何して遊ぶ?」
「なんでもいい・・・」
「AとBどっちがいい?」
「どっちでもいい・・・」
子供たちの会話を聞いていて、
この言葉がとても引っかかります

大人の気を遣って言っているのとはちょっと違う。
”投げやり”的な雰囲気さえ感じられます

甥っ子においては親に尋ねられた事の大半を
この言葉で返しています。
でもなんとなくこの子供たちの気持ち、
わからなくもありません

それは私が以前長女に対して、有無を言わせなかったからです。
とりあえず意見を聞いたとしても、結局は私が導きたい
答えの方へあれこれ言って誘導する訳です

そういう事が重なると、子供はきっと
「結局お母さんの言う通りにしなきゃいけない」
そう感じるに違いありません。
その結果、何に関しても
「どっちでも(なんでも)いい・・・」
という言葉を多く使うようになるような気がします。
私は長女が心を壊してしまってから、
極力判断は子供たちに委ね、よっぽどでないと
反対しないようになりました。
そのせいか、今ではうちの子供たちは
「〇〇がいい」という事をはっきり言えているような気がします
