色々と自分の事について振り返ってみました
私には三つ違いの兄がいます
兄は小さい頃からとにかく優しく、母は気をもんだようです。
友達に何をされても、言い返す事もやり返す事もしなくて・・・。
すでに口では私に負けていたと言います
そんな兄も小学校時代の担任の先生のお陰で変わったそうです。
そして勉強する楽しさを知り、成績もめきめきあがったそうで
それが自信に繋がったとか
中学でも常にトップクラスで、部活でも部長を務めました。
高校受験、先生が勧める進学高は校風が自分に合わないだとかで、
ワンランク落とした高校を受験し、余裕合格
これまた部活で部長を務めていました。
大学も国立大学にストレートで合格
なのに、希望校でなかった事から、一年後自主退学
半分予備校、半分宅浪で、翌年無事国立大学に合格
またもや部活の部長を務めました。
いやぁ!凄いです!!我が兄ながら
勉強は強制されてやっていた訳でもありませんし、
全ての事を自分で決断していますから。
大学を自主退学する時は、さすがに母は反対しました。
でも、兄の意思も固かったし、
きっと大丈夫だろうと思ったのでしょう
それだけ、息子の事を信じてあげられたのでしょう。
私の記憶の中でも、机に向かっている兄の姿は焼きついています
一方私です
母は私に「予習復習をしなさい!」とよく言ったものです
私は全く聞き入れませんでしたが・・・
でも要領は良くて、中学時代の定期テストはほぼ平均点以上を
取っていましたから、母は安心していたようです。
実は私、”特技:一夜漬け”だったのです
でも高校受験の時に全てが出てしまいました
決して裕福ではなかった我が家、公立に行ってくれないと困るし、
先生にもなぜか太鼓判を押されていましたから、
母は合格すると思っていたのでしょう
見事受験失敗ですよ
母に電話をして落ちた事を告げても
「またぁ!冗談はいいから!!」と
それが母に対して、本当に申し訳ないなぁと思った最初の出来事です
不合格当初はさすがに私もショックで
「高校浪人してやる!」と息巻いていました
しかし、勉強嫌いの私がそんな事出来ないと説得され、
あっさりと自分もそれを認め、滑り止めの女子高に入学
それと同時に、音楽に目覚めバンド活動にどっぷり浸かり、
母からしたらまさしく”不良路線”
勉強なんかそっちのけでしたから
髪の毛の長い男友達やら
、ピンクの髪の毛の友達
を連れて来ては、母を凍らせていました
なんとか短大は行ったものの、一時期はバンドで食べて行くとか
訳のわからない事を言い出したりしていましたから、
兄が心配いらなかった分、私は2倍心配させたのだと思います
ようやく自分の実力に目が覚め、夢見る少女ではなくなり、
短い黒髪のサラリーマンの主人
と結婚したものの、
いつまでも子供を産まず遊びほうける私たちを見て、
これまた母は深いため息をついていました
そんな私も三十路直前に長女を出産して、長男、次女と
二年空きずつで出産


母はようやくやれやれと思っていたのでしょう。
そしたら今度は長女の不登校問題
続いて長男まで・・・
私は自分自身、挫折もありましたが、
ものすご~く楽しかったし後悔はありません
無二の親友とも高校で知り合いました


だから今では高校受験失敗も、
全然嫌な思い出ではないのです
だけど、私はずっと母に心配ばかりかけている気がします。
そんな母も・・・もう70歳を超えました
本当はいらぬ心配はかけたくないんですよ?!
つくづく親不孝な娘でごめんね

私には三つ違いの兄がいます

兄は小さい頃からとにかく優しく、母は気をもんだようです。
友達に何をされても、言い返す事もやり返す事もしなくて・・・。
すでに口では私に負けていたと言います

そんな兄も小学校時代の担任の先生のお陰で変わったそうです。
そして勉強する楽しさを知り、成績もめきめきあがったそうで

それが自信に繋がったとか

中学でも常にトップクラスで、部活でも部長を務めました。
高校受験、先生が勧める進学高は校風が自分に合わないだとかで、
ワンランク落とした高校を受験し、余裕合格

これまた部活で部長を務めていました。
大学も国立大学にストレートで合格

なのに、希望校でなかった事から、一年後自主退学

半分予備校、半分宅浪で、翌年無事国立大学に合格

またもや部活の部長を務めました。
いやぁ!凄いです!!我が兄ながら

勉強は強制されてやっていた訳でもありませんし、
全ての事を自分で決断していますから。
大学を自主退学する時は、さすがに母は反対しました。
でも、兄の意思も固かったし、
きっと大丈夫だろうと思ったのでしょう

それだけ、息子の事を信じてあげられたのでしょう。
私の記憶の中でも、机に向かっている兄の姿は焼きついています

一方私です

母は私に「予習復習をしなさい!」とよく言ったものです

私は全く聞き入れませんでしたが・・・

でも要領は良くて、中学時代の定期テストはほぼ平均点以上を
取っていましたから、母は安心していたようです。
実は私、”特技:一夜漬け”だったのです

でも高校受験の時に全てが出てしまいました

決して裕福ではなかった我が家、公立に行ってくれないと困るし、
先生にもなぜか太鼓判を押されていましたから、
母は合格すると思っていたのでしょう

見事受験失敗ですよ

母に電話をして落ちた事を告げても
「またぁ!冗談はいいから!!」と

それが母に対して、本当に申し訳ないなぁと思った最初の出来事です

不合格当初はさすがに私もショックで

「高校浪人してやる!」と息巻いていました

しかし、勉強嫌いの私がそんな事出来ないと説得され、
あっさりと自分もそれを認め、滑り止めの女子高に入学

それと同時に、音楽に目覚めバンド活動にどっぷり浸かり、
母からしたらまさしく”不良路線”

勉強なんかそっちのけでしたから

髪の毛の長い男友達やら
、ピンクの髪の毛の友達
を連れて来ては、母を凍らせていました

なんとか短大は行ったものの、一時期はバンドで食べて行くとか
訳のわからない事を言い出したりしていましたから、
兄が心配いらなかった分、私は2倍心配させたのだと思います

ようやく自分の実力に目が覚め、夢見る少女ではなくなり、
短い黒髪のサラリーマンの主人
と結婚したものの、いつまでも子供を産まず遊びほうける私たちを見て、
これまた母は深いため息をついていました

そんな私も三十路直前に長女を出産して、長男、次女と
二年空きずつで出産



母はようやくやれやれと思っていたのでしょう。
そしたら今度は長女の不登校問題

続いて長男まで・・・

私は自分自身、挫折もありましたが、
ものすご~く楽しかったし後悔はありません

無二の親友とも高校で知り合いました



だから今では高校受験失敗も、
全然嫌な思い出ではないのです

だけど、私はずっと母に心配ばかりかけている気がします。
そんな母も・・・もう70歳を超えました

本当はいらぬ心配はかけたくないんですよ?!
つくづく親不孝な娘でごめんね
