「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」


この序文はあまりにも有名であるが、ただ、「人はみんな平等だ」と言いたいのでは勿論ない。


21世紀版~後継経営者のススメ~ 福沢諭吉(1835~1901) といえば、日本国紙幣1万円札に描かれています。慶応義塾大学の創設者でもあり、代表著書「学問のススメ」が有名ですね。


全部で一七編あり、一言でいえば「みんな学問をしましょう!」と講釈しています。その上で、賢く働いたら私(一万円札)がわんさか手に入るけど、不効率に働いたら私はなかなか手に入らないよ~(笑)というが如く、ただ一生懸命仕事をするだけじゃ成功できないという普遍原理を明治時代より説いています。


今回は要約します。(その他は直接講義にて)


生まれたときは貧富の差もなく、自由に衣食住を営み、各自思いのままに世の中を生きるのが基本的人権であるのに、なぜ差が生まれるのか?それは明らかに、勉強しなければ知恵は生まれず、知恵のない人は世の中で成功しないのです。


21世紀版~後継経営者のススメ~ 世の中には難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。その難しい仕事をする人は身分が重く、簡単な仕事をする人は身分が軽い人という。頭や心を使う仕事は難しくて、手足を用いる力仕事は簡単です。だから、医者、学者、政府の役人、大きな商売をする経営者などは身分が高く、自然とお金も溜るが、その根源を問うならば、その人が勉強しているからである。


「天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与うるものなりと」


つまり、人は生まれたときは平等だけど、勉強してよく世の中を知っている人は身分が高くお金持ちになり、勉強をしない人は身分が低く、お金持ちになることはできない。


※現代の経営でもいえることがあります。

「仕事における上司と部下とは何か?」


Q:上司は下積みを重ねたから当然上司になることができるのか?


よく勤務時間の中で「頭を使う時間」と「手を動かす時間」のバランスを問われることがあります。若い頃は1:9で、まずは猛烈に働いて経験を積むことが要求されます。経験を数年積む頃には3:7~4:6と頭を使う時間を増やしていき、経営者になると8:2~9:1くらいの比率まで頭を使わなくてはならなくなります。ではいつ頭を使う勉強をするのか?それは働いているだけでは足らないから、こうやって本を読んだり、人と交流して一歩上の自分を目指さねばならないんでしょうね。


私は今、実生活の中で何億という資産をどう動かすかを考える立場にいます。


経営を学ぶためにMBAを勉強しました。でも資格だけでは1円にもなりません。世の中で必要とされる人にならねばなりません。まだまだ足りない。なぜこんなに勉強するのか?私には夢ががあるからでしょう。


「学問のススメ9編より」

右の如く一身の衣食住を得てこれに満足すべきものとせば、人間の渡世はただ生れて死するのみ、その死するときの有様は生れしときの有様に異ならず。かくの如くして子孫相伝えなば、幾百代を経るも一村の有様は旧の一村にして、世上に公の工業を起す者なく、船をも造らず橋をも架せず、一身一家の外は悉皆天然に任せて、その土地に人間生々の痕跡を遺すことなかるべし。


上記なんてちょー厳しいこと言ってます。

平凡にサラリーマンやって満足するのもよいけど、そんな人はたくさんいるから、そんな人が生まれて死ぬを繰り返しても、その地域は一向に発展しない、むしろ衰退すると言っています。頭のいい人は、自分の人生何をすべきかに使命を持っているから、また人が集まるのですね。


個人に対しての講釈もしかり、注目すべき点は、下記のような過激論も多い。


「学問のススメ初編最終頁」

~かかる愚民を支配するには、迚も道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。


つまり、勉強もできないし、道理も分からない人に対して、諭すことが不可能な場合は、威圧でもって押さえつけるしかないと書いてある。私が差別論を論じるわけではないが、例えば中国は10億人という人口の中で残念ながら所得格差や教育格差が広い国の場合、正直、教育の低い人たちに「正論」は通じないから、力で押さえつけて黙らせるしかないともいえる。


世の中の原理、人間の心理をよく説いています。勉強することで知らなくていいことも知ってしまうのも辛いかも!?(笑)