読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書演説はもって智見を散ずるの術なりby 福沢諭吉


勉強はただ勉強しているだけでは社会の役には立たない。その勉強を人と共有して初めて自分の立ち位置が分かるので、論語と算盤の読書会に参加してみました☆


21世紀版~後継経営者のススメ~ 『論語と算盤』読書会

講師: 守屋 淳 (作家)
http://www.shibusawa.or.jp/
museum/index.html
会場:渋沢栄一史料館


「大志」とは何か?


僕は、この二文字をあなたにも問いかけてみたい。


今日、この二文字を問いかけられて、深く深く考えることができました。大志というと、夢や目標といったことをイメージする人もいるでしょうし、決意や心の支えといったことをイメージする人もいるようです。


私は10代、20代の頃の小さな小さなチャレンジの積み重ねを通して、これを成し遂げたいという目標はもちろんあります。そしてそのうえで、私の大志は、精神的に強い自分になることで、より早く成し遂げることができると思うから、今こうやって勉強しています。




私は30歳を手前のした頃、「仕事で成功している=人間として成功しているという考え方は20代のうちに卒業しなければいけない」と思うようになりました。


渋沢翁曰く、「私は常に精神の向上を富とともに、進めることが必要であると信じている」


そう、ここでいう精神とは、利益という言葉に左右されない、人として尊敬できる「仁」をもつこと、今でいう「徳」を持つことであり、その向上とは、とことんマニアックに考えてみることじゃないかと思っています。だから、視野の狭いノウハウ共有ごっこや、同年代で大志を議論し合うのは、こればかりは年長者や立派な書物による導き手がいなければ、とても精神的に未熟な議論になってしまうものなのです。


是非、みなさんにも様々な年代の方々を交えて、「精神の修養」を行うことをお勧めしたい。その上で、自分の経験をもとに自己哲学ばかりを聞き手に押し付けるのではなく、時代の変革者や徳のある偉人達の言葉を自分の経験と照らし合わせ、ある面は聞き手を納得させる正論を述べ、ある面は自分が間違っていたと反省を述べていくことで、効率よく精神の修養ができるでしょう。



私の精神修養の一つは、このブログに書くという行為です。(あなたがこのブログを読んで私を批評するネタとしてくれたらなお嬉しい!)


私は大学まで男子校で育ち、一流大学を卒業しているわけでもないが、安定就職という道を選んで、従順に社会の中で働く生活を送ることはできたろうと思います。しかし今思えば、当時流行り始めたネット上で日記を書いて、WEB上で仲間と交流したりしましたが、私の国語力が弱かったので言いたいことは伝えられるけど、レベルは非常に低かったのでしょう。結果として、周りに優秀な人が集まりませんでした。まさにレベルの低い人生のループのようです。


人は人によって成長する。


きっかけは、20歳の頃に読み始めたビジネスでの成功者の本で、大変参考になりました。今思えば20代だからというわけでなく、サラリーマンから独立する時にせよ、人生の転機として何かを始める時にせよ、何かやろうぜというポジティブなエネルギーは、成功者の共通する精神と分かりました。


ここからが面白いテーマです。


私が今回参加している読書会で、渋沢栄一氏のひ孫で御年87歳の渋沢雅英さんも共に勉強する仲間でして、たくさんお話する機会を得ることができました。物腰柔らかく、にこにこ笑顔でゆっくり皆の意見を聞きながら、哲学とはこうだ!とは一切述べません。


そして「論語と算盤」の本について、渋沢雅英さんは一言、「面白い本というのは、人を考えさせるテーマの詰まったパッケージだと思うんだな。」


僕は本当にハッとしました。


僕が述べているような、私の言葉でああだこうだと批評する「自発的な立志」と、その人の言葉を聞いているだけで考えさせられる「誘発的な立志」がある。例えば、スピーカーの経歴や体験を何時間も述べて語りきった~という自己満足型セミナーと、ゲームのように聞き手に次の展開を考えさせられる誘発型セミナーと、聞き手にとってはどちらが面白いか?といえば分かりやすいですよね。


そこに、60代の熟年経営者の参加者が一言、「いいものに狂うというのも必要だな」


渋沢翁曰く、「青年時代は、自分が正義と信ずる限りは、あくまで進取的に剛健なる行為を取って貰いたい。たとえ失敗することがあっても、疚しいところがなければ、かえって多大の教訓を与えられ、益々自信を生じ、勇気を生じて猛進することができ、次第に壮年に進むにつれて有為なる人物となり、国家の一柱石として信頼得る人物となるであろう」


自分の人生に当てはめて、批評できる場を持つことで、自分の小立志の積み重ねを省みることができ、大立志の重みを人に伝え、感動させられる誘発的な立志に高められることができるのだろうと私は思う。