親父が約三か月前に他界しました。

悲しみ、虚無感、絶望感、受け入れられない気持ち、そして罪悪感がこみ上げてきて、今まで感じたことのない複雑な感情だった。でも人は感情すら忘れる生き物。忘れてはいけないことも忘れてしまうし、忘れたくないことも忘れてしまう。そう自負しているからこそ、ブログっていう形として残していこうと思う。

 

親父の死亡原因は外傷性の脳出血。詳細についてはよくわからないが、ここ最近で異常な量の酒を飲んでいて、酔った拍子に頭をぶつけていたらしい。

 

親父は寡黙で秘密主義な人で、仕事はおろかプライベートに関しても全然話さなかった。

性格は憶測と周りの評価からして、弱音や愚痴を言えなかったり、他人に気を遣いすぎたりいい顔をし過ぎたり、全部なんでも一人でやってしまう性格だったと思う。

だからストレスをためこみやすかったんだな。

 

俺は親父とはあまり仲が良くなく、会話もなければ怒られることもそんなになかった。親父を理解しようとせず、毎日きつく当たってしまっていて、罵声を浴びせることもあった。

たらればになってしまうが、あの時親身になって聞いてあげてれば、向き合うことから逃げなければ、と罪悪感と後悔ばかりが募る。

 

その時思ったのは、後悔しても遅いって改めて実感したから、残ってる人や家族にちゃんと思いを伝えていこうと。

伝えるとは、言葉で伝わるものが2割、表情や仕草や身振り、態度や雰囲気などが8割らしい。

思ってても伝えないのは論外、ただ言葉よりも態度や行動で伝えるように心掛けようと思った。

 

当たり前は本当に尊いから、そのことを伝えるのも生きてる人の宿命って思うし、それをできるのは生きてる人の特権であり、幸せなこと。

ただ、日常の出来事って反復するうちにそれが当たり前って思って、感謝の気持ちは日に日に薄れるもん。その為にお墓参りに行って先祖あっての自分や家族ってことを再確認したり、家族や仲間同士で言い合って互いに気付き合うこともできる。その根底には人間としての基本である挨拶があるわけで、それ無くしたら人間落ちぶれると思う。

だからといってなんでもかんでも感謝する事は違うと思うし、本当に感謝していることだけ表現して伝えればいいと思う。

きっかけとか概念はとっぱらって、伝えれられるうちに伝えろってことですね。