昔、農耕民族である私たちの祖先は、今現在のようなデジタル機器がないのに、どうやって生きて来たんだろう?と思った。
また、最近私は、地球の覇者のように振る舞う人間的な意味合いをもつ文章に出会うことが多くなった。
西欧文明が日本にもたらされる前は日本ではそこそこ自然と共に生きてきたのではないだろうか。
カレンダーがなくてもきちんと季節がわかったのではないだろうか、、、。
今の私はどうだろうか?
光があまり当たらない仕事場で長い時間をすごし、時計とカレンダーがなければ季節もときもわからない生活を送っている。
私たちの周りにあるのは
エアコンなどによる室内の一定温度化や
栄養はあるけど季節感のない食べ物たち、つまりサプリメントなどの他
肉体という物質の保存にのみ焦点をあてられたものばかりのようなきがする。
そのために、肉体以外の感覚的な気のようなもの、季節を感じるセンサーみたいなのは古びてしまったかのようだ。
むろん、私たち人間は肉体を持っているので、そのケアは大切だ。
けれども、感情などのことを考えてみても、私たちは肉体だけでないことがわかる。
つまり、肉体以外のケアも重要なのだ。
それは本来、自然のなかにいれば自然とそうなるのかもしれない。
しかしながら、これまではそれにさらされ過ぎると、よっぽど身体が頑丈でない限り、死んでしまったのかもしれない。だからこそ、ここまで肉体のケアだけが大事にされてきたような気がする。
新しい時代に入り、自然のエネルギーが変わったらしい。
今まで通りの生活をしていたら、その自然エネルギーを取り込むことができない。
肉体はそれでも持ちこたえるかもしれないが、それ以外の気みたいな部分は確実に元気がなくなり、肉体はあっても、まるで老人ホームに横たわる老人のように、若くてもなってしまうかもしれない。
肉体の頑丈さと気の元気さは、別ものなのかもしれない。
これまでは肉体は精神の象徴と思ってきたけれど、それはあっているんだけど、今現在の肉体を守る生活だけしていても、いっこう精神はよくならないのだ、、、。
じゃあ、どうすれば?
自然とかかわれるのか?
自然は肉体の敵かのように振る舞ってきた人間。
その考え方を変えることが必要なのではないだろうか。
台風、洪水、大雪、これらをありがたいものとしてとらえること。
立ち向かうのではなく(立ち向かったら死ぬ、つまり肉体が壊れる)、適切に肉体を守っておとなしくしていること。
今ある文明の力に感謝し、自然に感謝しながら肉体を守り、自然のエネルギーを取り入れられることに喜びを。
不思議な話になったが、今わたしが思ったことだ。
最後まで読んでくださってありがとうございました。