ブログにご訪問ありがとうございます。

最近ですね
「赤ちゃんみたいに生きればいいんだ」
的なこととか、

「他人を気にしないで自分の好きなことをしよう」とか、

そういった考え方から卒業しようと思いました。

勘違いしてほしくないのは、
その考え方が間違っているんじゃなくて、
私の捉え方が、明らかに間違っている。

都合のいいように解釈していると感じたからです。


私は今まさに赤ちゃんを育てていますが、
とってもかわいいし、癒されますが、
赤ちゃんって、大人がいなかったら死んじゃいますよね。

いや、赤ちゃんみたいって、心のもちようでしょ!?って思われる方もいるでしょう。
その解釈もいいんですけど、

私の場合「赤ちゃん」だから、
自分の感情を自由に発散してよくて
→ところ構わず、ちょっとでも嫌ならいつでも文句をいってもいい。

自分ができないことは誰かがやってくれるし
→面倒なことはみんな他人任せ。
私はやりたいことだけをやりたいときにする。

ってけっこう自分に都合のよい拡大解釈をしちゃっていたんだよねえ。
これができるようになってはじめて幸せになれるんだってねえ。

そんでね、それでもいいんだ。
責任さえとれれば。

そんな風に勝手に生きていたら、いつか人はまわりに誰もいなくなっちゃうよ。

お金があるうちはいいけど、なくなったら誰もいないくなっちゃうよ。

みたいな責任。

社会のルールにどこまでも背を向けて生きるならそれ相応の覚悟が死ぬまで必要なのよね。


赤ちゃんを育てて、
私は「大人もかっこいい」って気がつけたんです。

自分の好きなこともするけど、
社会のためにやることはやる。
まわりと調和しながら、自立して自分をちゃんと生きる。
助けて欲しいときは助けを求める。お互い様の精神を持つ。

これは赤ちゃんじゃできないこと。
大人だからできること。

そんで
赤ちゃんも必要だけど、
大人も必要なんだよ。世界には。

それにずっと赤ちゃんじゃいらんないよね。
赤ちゃんじゃないといれない人は別だけど、
大人になれる人はちゃんと大人にならなくちゃ。

私の子どもも、日々ちょっとずつ大人になっていくのがよくわかるのだよ、、、。

んでな、意外にも、
大人って「自由」なのかもしれないと
思っているのさ。

赤ちゃんはいつでも赤ちゃんだけど、
大人は自分で赤ちゃんになりたいときを選べるんじゃないかってね。


赤ちゃんを産んだり、育てていなくたって
そんなこととうに気づいている人も多いんだろうな。

私は大人になれるのに、
わがままばっかり言っていたなー。
いっつもすねていたなー。
ピーターパンのウエンディだわあ。

好きなこと
好きなこと
好きなこと

って、考えてたけど、
いっつもそれができるわけじゃないよね。
それにそればっかだと飽きるし。

好きなことが必要なことだったらなおよし、

そして必要なことの中に好きなことを見つけられるのもなおよし、

世界に対して、社会に対して
すねていないで
大人になって、本当の自由を見つけようと思う。