シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その219〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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11アヤの大見出しです。

■Part1 11-1〜11-6 オシヒトの生い立ち
■Part2 11-6〜11-16 ナコソの出会い
■Part3 11-16〜11-22 先帝の遺言
■Part4 11-22〜11-24 黄金咲く大和




今日は、そのPart1、オシヒトの生い立ちをやります。

ここは、去年、「〜その154〜」で解説していましたが、この当時、まだ理解が足りておらず、時間軸を見誤っていました。
アマテルが長寿の末に崩御したことにより、子であるヲシホミミが、アマツヒツギを受けたのだと思っていました。
現在では、このイベントが発生したのは、アマテルがソサノヲに譲位した後、さらに、ソサノヲがオホナムチに譲位した後のことだったのです。
そして、多賀のミヤコはイサナギのタマツミヤ(霊府)だったものを日高見に移したのです。
先のアヤでは、さらに色々と変更が出てきますが、明確になっていないことは、あいまいにしかわからないものです。

まだ読みづらい、解らない、という人がいるようなので、●一行訳、●連続訳というラベルを付けることにしました。

この部分の小見出しです。

■1 11-1〜11-3 オシヒトのタカノコフ
■2 11-3〜11-6 オモイカネ ワカヒメトモニ モリソタツ




でははじめましょう。

■1    オシヒトのタカノコフ

●一行訳

11-1 ミくさゆつりみうけのアや  ミクサユツリミウケノアヤ 【三種の譲りと御受けのアヤ】
11-1 フそヰすゝ もゝゑそヒホに フソヰスス モモヱソヒホニ 【二十五鈴】【百枝十一穂に】
11-1 ヒたかみの みくらのあとに ヒタカミノ ミクラノアトニ 【ヒ〔日〕タカミ・ノ、日高見の】【御蔵の跡に】
11-1 またみやこ うつしてなつく マタミヤコ ウツシテナツク 【また、ミヤコを移して】【名付けたのは】
11-2 たかのこふ つほわかみやの タカノコフ ツホワカミヤノ 【タカ・ノ・コフ、多賀の甲、現茨城県常陸大宮市下町221甲神社です】。【ツボ・ワカ・ミヤ・ノ、壷・若宮が】
11-2 とのしまも たかやいらかも トノシマモ タカヤイラカモ 【トノ・シマ・モ、殿・島も】、【タカヤ・イラカ・モ、高屋も・甍・も】
11-2 ふつくなり うらのよきヒに フツクナリ ウラノヨキヒニ 【フツク・ナリ【全て・仕上がり】、【ウラ・ノ・ヨキ・ヒ・ニ、占いの良い日に】、
11-2 わたましの きみハアまてる ワタマシノ キミハアマテル 【ワタ・マシ・ノ、渡御される】、【キミ・ハ・アマ・テル、(このとき)キミになったのはアマテルの】
11-3 よつぎみこ はゝハヒのまえ ヨツギミコ ハハハヒノマエ 【ヨツギ・ミコ、世継の・御子で】、【ハハ・ハ・ヒ〔日〕・ノ・マエ、母は日(アマテル)の前(に向かう)】
11-3 むかつヒめ いむなほのごの ムカツヒメ イムナホノゴノ 【ムカツヒメで】、【イムナ・ホノゴ・ノ、イミナはホノゴ(濁音に注意)の】


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●連続訳
三種の譲りと御受けのアヤ
二十五鈴百枝十一穂に、日高見の、御蔵の跡にまた、ミヤコを移して名付けたのは、タカノコフ(多賀の甲)、現茨城県常陸大宮市下町221甲神社です。
中心となる若宮の、殿の島も、高屋も、甍も全て・仕上がり、暦による吉日に、渡御されたヲシホミミは、アマテルの世継の御子で、母はアマテルの前に向かうムカツヒメです。
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前回、「〜その218〜」で、ミクラノアトニマタミヤコの種明かしを先にしていますが、私もやっとわかった事実なのです。

現代語では、頭(こうべ)も、甲(かぶと)も語源が同じなので仮名遣いを特定することはできませんでした。



この当時はミヤコと云っても、平城京などにくらべ極端に規模が小さいので、「ムー」的歴史感を持たないでください。
津軽のアカルミヤは結構、規模が大きかったようですがなにも発掘されていないので、わからないのです。
中小のミヤコがいくつかある中で、アマツヒツギの居る中央のミヤコを、ヤマト(家・間・処、つまり直参の集うミヤコ)と呼んだのですね。


■2    オモイカネ ワカヒメトモニ モリソタツ

●一行訳

11-3 むかつヒめ いむなほのごの ムカツヒメ イムナホノゴノ 【ムカツヒメで】、【イムナ・ホノゴ・ノ、イミナはホノゴ(濁音に注意)の】
11-3 うぶみやハ ふぢおかみゝの ウブミヤハ フヂオカミミノ 【ウブ・ミヤ・ハ、産屋は】【フジオカ・ミミ・ノ、(現伊勢市の高倉山の藤岡山の耳の)】
11-3 おしほゐに あれますみこの オシホヰニ アレマスミコノ 【オシホヰニ、忍穂井に】、【アレ・マス・ミコ・ノ、お生まれに・なった・御子・が】
11-4 ちにむせふ むつきしめして チニムセフ ムツキシメシテ 【チ・ニ・ムセフ、乳にむせぶ】、【ムツキ・シメシ・テ、産着を・濡らした・ので】
11-4 おしヒとの ヲしほみゝとぞ オシヒトノ ヲシホミミトゾ 【(イミナを)オシヒ〔人〕ト】、【忍穂耳と】
11-4 きこしめし たがわかみやに キコシメシ タガワカミヤニ 【呼ばれました】。【タガワカミヤニ、多賀の若宮、現滋賀県犬上郡多賀町多賀大社で】
11-4 ひたします ヒたるのときに ヒタシマス ヒタルノトキニ 【ヒタシ・マス、浸します、養育しました】。【ヒ・タル・ノ・トキ・ニ【(母ホノコが)日足る時に】
11-5 おもいかね わかヒめともに オモイカネ ワカヒメトモニ 【オモイカネと】【ワカヒ〔人〕メの夫婦が、(皇子オシヒトを)共に】
11-5 もりそたつ よろまろヒとり モリソタツ ヨロマロヒトリ 【守り育てることになりました】。【ヨロマロ・ヒトリ、ヨロマロが一人】
11-5 そばにあり きみハよわくて ソバニアリ キミハヨワクテ 【(御子の)側におり】、【キミ(オシヒト)は弱くて】
11-5 みそぎまれ おばさりませハ ミソギマレ オバサリマセハ 【禊ぎはまれ(にしかしませんでした)】。【オバ・サリ・マセ・ハ、伯母(ワカヒメ)・去り・ませ・ば、伯母が亡くなると】
11-6 かうのとの まつりとるゆえ カウノトノ マツリトルユエ 【カウ・ノ・トノ、頭の殿(イサナギの)】、【マツリ・トル・ユエ、祭り司る故に】
11-6 よろまろお ヒたかみのかみ ヨロマロオ ヒタカミノカミ 【ヨロマロを】【ヒ〔日〕タカミノカミ、日高見の守(に任じていました)】。
11-6 きみハこそ つぼおしたひて キミハコソ ツボオシタヒテ 【キミは去年】、【ケタツボ(のヨロマロの後)を追って】、
11-6 みゆきなる たがのみやこお ミユキナル タガノミヤコオ 【(現常陸大宮市甲神社へ)行幸されましした】。【タガノミヤコオ、近江の多賀のミヤコを】


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●連続訳
母のイミナはホノコで、その産屋は、現伊勢市の高倉山の藤岡山の端、忍穂井に造られました。
お生まれになった御子は、乳にむせび、産着を濡らし、イミナはオシヒト、忍穂耳と呼ばれました。
多賀の若宮、現滋賀県犬上郡多賀町多賀大社で養育されました。
母ホノコ(アマテルの皇后)が崩御されたので、オモイカネとワカヒメの夫婦が、皇子オシヒトを、共に守り育てることになりました。
ヨロマロ(タケミカツチ)が一人、御子の側におり、オシヒトは身体が弱くて禊ぎはまれにしかしませんでした。
伯母であるワカヒメが亡くなると、オシヒトは、多賀若宮で、頭の殿(イサナギ)の、祭りを司る故に、代わりに、ヨロマロを日高見の守に任じていました。
オシヒトは去年、ケタツボのヨロマロの後を追って、現常陸大宮市甲神社へ行幸されましした。
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この部分はすでに紹介していますが、このオモイカネは6代タカミムスビで、ワカヒメとの子であるタチカラヲ(手・力・雄)がタケミカツチなのです。

今回のシーンは成人して相当たってから、ヲシホミミが、アマツヒツギを取るところです。
キミハヨワクテ ミソギマレと書いてあるので、短命だったかと思うと、そうではありません。
ヲシホミミの在位期間は15年もあるのです。(28-22〜28-23)

ヲシホミミ以降の体制は、タカミムスビが権力を総攬し、アマツヒツギは権威のみを一手に引き受けるのです。

まだ、全然、力がはいらないので図も貼れず、次は明日以降にまわしましょう。


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