シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その163〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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1アヤの解説を続けます。

■ タマツミヤ

1-22 きしゐくに アヒのまゑみや キシヰクニではア・ヒ・ノ【アマカミの】・マヱ・ミヤ【以前の宮】
1-22 たまつみや つくれハやすむ タマ・ツ・ミヤ【祖帝を祀る霊の宮、霊府の宮】を(あらたに)作ったので国が安定した。
1-22 アヒみやお くにかけとなす 旧アヒミヤをクニカケ【国懸、官幣神社】とした。
1-22 わかひめの こゝろおとゝむ (タマツの人々が)ワカヒメの心根を有難く思い、(ワカヒメに)奉ったのは
1-23 たまつみや かれたるいねの タマツ・ミヤ【現玉津島神社】です。萎れた稲が
1-23 わかゝえる わかのうたより 若返るワカのウタから
1-23 わかのくに たまつのヲしか ワカの国【現和歌山市】と呼ぶようになりました。タマ・ツ・ノ・ヲシカ【霊府に侍る勅使】



古来からの神を讃え、先人の遺徳を顕彰し、その優れた記憶を後世に残す目的で造られているのがタマ・ツ・ミヤと考えられます。
アメ族の場合、大中華で起こった古代国家(帝国)をプロトタイプとするインスタンスが随所に形成され、今日まで残っているものも多く認められます。
こういった神社にも生産性があり、そこに帰属するタミもいるのですから、その永続性はかなり強固であると考えねばなりません。
この一節でもタマ・ツ・ミヤとタマツ・ミヤが使い分けられているようですが、その運営はかなりクロスオーバしていると見て間違いないでしょう。
つまり、官幣社になって、ミヤの運営が楽になれば余剰になった生産要員は新設したミヤに回せる(自作農なら当然です)わけです。
つまり、タミはキミの私物ではなく、ヲヲヤケ(公)なのですから、タミが望まなければミヤの新設などありえないのです。
こういったアスペクトが、接続すると思われる古墳時代と一線を画するところではないでしょうか。
中華帝国の圧政を逃れてきて、平和な共存共栄を夢見たアメ族ですが、異部族との縁組はプラスにもマイナスにも作用したことでしょう。
少なくとも、オオタタネコのような半島系のプロトタイプ(絶対主義)を持つ勢力はやがて日本列島を席巻してゆくのですから。
現代日本人は(いや、世界中の人は皆)アメ族の盛衰をな生温く(なまぬるく)見守って行かなければならないのです。
半島人を恨むのは間違いで、かれらにはかれらの生き方があったというだけで、取り込まれてしまったアメ族の実力が、そこまでだったということなのです。

この辺の機微は「〜その127〜」に詳解してありますので、必ずやご理解いただけると存じます。

■ 一目惚れ

1-23 わかのくに たまつのヲしか ワカの国【現和歌山市】と呼ぶようになりました。タマ・ツ・ノ・ヲシカ【霊府に侍る勅使】
1-23 あちヒこお みれバこがるゝ アチヒコに一目惚れした
1-24 わかヒめの わかのうたよみ ワカヒメは、ワカのウタを詠んで
1-24 うたみそめ おもいかねてぞ ウタ・ミ【歌・見、歌札】を染め、想いを込めて
1-24 すゝむるお ついとりみれバ 勧めたので、(ウタミを)手にとって見ると、そこには
1-24 きしいこそ つまおみきわに キシイ・コソ【キシイに来て】ツマ・オ・ミキワ・ニ【妻を身際に置いて】
1-25 ことのねの とこにわきみお コト・ノ・ネ・ノ【琴の音を楽しんではいかが】、トコ・ニハ・キミ・オ【君の床では】
1-25 まつそこいしき マツ・ソ・コイシキ【恋する私が待っています。
1-25 おもえらく はしかけなくて オモエ・ラク(アチヒコはすぐに)気が付き、ハシ・カケ・ナクテ【架け橋、浮橋、仲人も無く】
1-25 むすぶやハ これかえさんと ムスブヤハ【縁結びをしようというのか?】コレカエサント【これに返事をしなくてはと思ったが】
1-26 かえらねハ ことのはなくて カエラネハ【返すウタが出来ずに】、コトノハナクテ【(すぐに)言葉が出ない】、
1-26 まちたまえ のちかえさんと マチタマエ【待って欲しい】、と言って、ノチカエサント【後で返事をするから、と】
1-26 もちかえり たかまにいたり 持ち帰ります。タカマニイタリ【(タマツミヤの)タカマで】


この、「キシイこそ」という回文の歌は江戸時代に知られていたものですか?
そうではないでしょう。少なくとも私は見たことがありませんでした。

これだけでも、江戸時代の偽書説を唱える人は恥を知らなくてはなりません。
仮ににホツマツタヱが創作であったとしても、時代性まで否定することはできないのです。

歌の字面だけを見て、「露骨な求愛表現」と感じて、昔は女性はすぐ寝てしまったんだぁ!と云う誤解もあります。
それを見破るには「トコ・ニハ・キミ・オ」に注目することが必要です。
すなわち、この句には「トコ・ミキ(床神酒、結婚)」が暗示されているので、目聡いアチヒコは瞬時に「正式な縁談」と思い至ったのです。

そこから推察すると、この二人の出会った場所はキシイ【現兵庫県三田市御霊神社】ということが確定してしまうのです。
アチヒコは、今は急ぐからと、思いつつも、これは確実に稲虫退治を完遂してこのヒメと結婚するゾぉぉぉ!と思ったことでしょう。
これは次のカナサキのウタにも出て来ています。

■ カナサキの仕掛け

1-26 もちかえり たかまにいたり 持ち帰ります。タカマニイタリ【(タマツミヤの)タカマで】
1-26 もろにとふ かなざきいわく 諸守に問うと、カナザキが曰く
1-27 このうたハ かえことならぬ このウタは、カエコト・ナラヌ【返事のできない】
1-27 まワりうた われもみゆきの マワリウタ【回文の歌】です。ワレモミユキノ【私も行幸の】
1-27 ふねにあり かぜはけしくて フネ・ニ・アリ【船に乗っていた時】、カゼ・ハケシク・テ【激しい風と】
1-27 なみたつお うちかえさじと ナミ・タツ・オ【波に襲われ】、ウチカエサ・ジ・ト【(これを)打ち返そうと)
1-28 まワりうたよむ マワリウタを詠んだことがあります。
1-28 なかきよの とおのねふりの ナカキ・ヨ・ノ【永い代の】トオノネフリノ【遠い眠りから】
1-28 みなめさめ なみのりふねの ミナ・メサメ【皆、目覚めなさい】、ナミ・ノリ・フネ・ノ【波に乗る船の】
1-28 おとのよきかな オト・ノ・ヨキ・カナ【なんと音の好いことでしょう】
1-29 とうたえバ かぜやみふねハ ト・ウタエ・バ【と詠ったので】、カゼ・ヤミ・フネ・ハ【風も止み、船は】
1-29 こゝろよく あわにつくなり ココロヨク【快く】アワ・ニツク・ナリ【アワ、淡国に着くことができました】。
1-29 わかヒめの うたもみやびお ワカヒメのウタにも(私の)想いを
1-29 かえさじと もふせハきみの 返したいのですが、(とアチヒコが)言うのでキミは
1-30 みことのり かなさきがふね 言われました、カナサキの言葉を架け橋としなさい、と。
1-30 のりうけて めヲとなるなり そして、その仕掛けどおりに(アチヒコとワカヒメは)夫婦になりました。
1-30 やすかわの したてるヒめと (アメの)ヤ・ス・カワ・ノ【野洲川の】シタ・テル・ヒメ・ト【下照る姫と】
1-30 アめはれて そのおしくさハ アメハレテ【晴れて(呼ばれるようになりました)】。ソノ・オシ・クサ・ハ【その・仰ぐ・こころ・は】


これまでも、繰り返し述べて来ましたが、濁音法の機微を知らなくては、この優れた文学を読み解くことなど出来はしないのです。

ここで提示されている「カナザキ」という濁音表記は「ここに仕掛けがあります」という示唆なのです。

ココロヨク・アワ・ニツク・ナリと区切ったのはそのように盛り込まれているからです。
「ニツク」は「似つかわしい」で、優れたカップリングである、とカナサキは主張しているのですが、それを読み取ったキミは「カナサキガフネノリウケテ」と言われたのですが、メヲトナルナリが間接話法による三人称に対する強い命令であるかどうかはまだ読み取れてはいません。
単なる省略なのかもしれないからです。

最後の、「アメハレテ」は、長いこと「アメは晴れて」と訳していたのですが、不適切でした。これは当時の成句であり、単純に「晴れて」と訳さないと不自然な表現になってしまいます。

■ ワカウタの構造

1-30 アめはれて そのおしくさハ アメハレテ【晴れて(呼ばれるようになりました)】。ソノ・オシ・クサ・ハ【その・仰ぐ・こころ・は】
1-31 ぬバたまの はなハほのほの ヌバタマノ【ヌバタマの】ハナ・ハ・ホノホ・ノ【花は炎の】
1-31 からすバの あかきハヒので カラスバノ【カラス葉の】、アカキ・ハ・ヒ・ノ・デ【光芒は日の出】
1-31 ヒあふぎの いたもてつくる ヒ・アフギ・ノ【日扇は】、イタ・モテ・ツクル【板で作り】
1-31 あふぎして くにもりヲさむ アフギ・シテ【扇いで】クニ・モリ・ヲサム【国を守り治める】
1-32 ヲしゑくさ からすあふぎハ ヲシヱ・クサ【教えぐさです】。カラスアフギ・ハ【カラス煽ぎの衆は】
1-32 ソフハなり ヒあふきのハハ ソフ・ハ・ナリ【12羽です】。ヒアフギ・ノ・ハ・ハ【日扇衆の板は】
1-32 みなはらふ あわのヨソやぞ ミナ・ハラフ【全員出揃う】アワ・ノ・ヨソヤ・ゾ【地元の40家のタミです】。
1-32 またミソフ みちなわすれそ マタ・ミソフ【また32の】ミチ・ナ・ワスレ・ソ【(数による)導き(導引)を忘れてはなりません】。




これは未熟なヒオウギの実です


これはヒオウギの熟した実です。
ヌバタマノ【ヌバタマの】


これはヒオウギの花
ハナハホノホノ


カラス葉の


これは扇神輿(おうぎみこし)の先端
光芒は日の出

日扇は板で作り

扇ぐことにより(虫を祓い)国を守り治めるのです



かつて5アヤで、オトリハ【雄鶏羽、トサカ、松明】というのが出てきましたが、カラスバはカラスの羽で、屈強なカラス衆が持つ巨大な松明(たいまつ)です。
カラスアフギ・ハ【カラス煽ぎの衆は】ソフ・ハ・ナリ【12羽です】
現代でも12人の屈強な男たちが50kgもある松明をもって練り歩くのです。


これは扇神輿の12枚
ヒアフギノ・ハ・ハ【日扇衆の板は】ミナ・ハラフ【全員・出揃う】アワ・ノ・ヨソヤ・ゾ【地元の40家のタミです】。
板が長いのは、水の有る田圃の中央まで扇いで、イナゴを追い払うためですね。
カラス衆はどこへでも出張サービスするでしょうが、日扇の板を持つのは地元のタミでなくてはなりません。

ここで、断っておかなくてはならないのは、「ヒアフギ・ノ・ハ・ハ」の「ヒ」は「人」を意味するヒなのです。
つまり、ここでは「煽ぎ人」ということになります。
最初の「カラスバ」の「ハ」は葉っぱのことですが、「ソフハ」は羽なのです。
さらに、板でつくった扇もやはり、「ハ」なのです。


これが人を意味するヒ
彦とか姫はほとんどこれです。


これが色々表す「ハ」です。
フォントは近々公開するヒタカミセリフです。


また、音(おと)だけで「アワノヨソヤ」と云えば、「天地の数である48」を思い浮かべますが、ここでは天地ではなく平たいアワなので、「現地で調達した40軒のタミ」なので、よく理解していただきたい、と思います。

すべてを忘れてしまったかのような現代の扇祭り
https://www.youtube.com/watch?v=LQJBE8prHaE
単純な信仰心でだけでも、祭りは感動的なものですから世界遺産になってしまうのも当然ではないでしょうか。

熊野の神が里帰りする瀧の祭りということなので、オオナムチの時代のものだと思われます。
熊野の御上(クスヒ等)が出張先からイナゴを追い払って凱旋しているのだと思われます。
カラス衆も凱旋の儀式ということで、改まって白装束になるのでしょう。
9アヤで、オオナムチもこの祭りをやっていますので、作法はまったく同じだと考えてよいでしょう。
ただし現代では、これが稲虫を払う祭りだったことは忘れてしまっているようです。


■ アメ族のワカの原理

1-33 はなきねハ ヰナにつゝるお ハナキネ【ソサノヲ】は、ヰナにツツルオ【5・7の調子はどこから】、と
1-33 あねにとふ あねのこたえハ アネニトフ【姉に問います】。姉の答えは
1-33 あわのふし またとふはらひ (それは)アワ・ノ・フシ【呼応する音の節です】、マタ・トフ・ハラヒ【また問うに、祓いの(数である)】
1-33 ミソフなり いまミソヒとハ ミソフ・ナリ【32は?】イマ・ミソヒ・トハ【また、31なのは?】
1-34 このヲしゑ アめのめくりの この教えは、アメノメクリノ【天の巡り、自然の摂理、暦】によるもので、
1-34 ミむソヰゑ ヨつミつわけて 365日を、ヨツミツワケテ【4つの季節を3月に分けたものが】
1-34 ミソヒなり つきハおくれて ミソヒナリ【31日です】。ツキハオクレテ【次はすこし遅れるので】
1-34 ミソたらず まことミソヒぞ ミソタラズ【30に足りなくなりますが】マコト・ミソヒ・ゾ【基本は31です】。
1-35 しかれとも あとさきかゝり でも、後先続いているので
1-35 ミソフかも あるまうかがふ 32になるかもしれません。この隙間を覗う
1-35 をゑものお はらふハうたの ヲヱモノオ【汚穢者を】祓うのにはウタの、
1-35 こゑあまる しきしまのゑに コヱアマル【超え余る隙間】 、シキ【領有する】・シマ・ノ【天地の】ヱ【間】に
1-36 ヒとうまれ ミソヒかにかす ヒト【人】が生まれて、(男は)31に純化し、
1-36 めハミソフ うたのかずもて メ・ハ・ミソフ【女は32で】、ウタノカズモテ【ウタの数で】
1-36 ワにこたふ これしきしまの ワ・ニ・コタフ【地に対応するのです】。コレ・シキ・シ・マ・ノ【これがアメ族が「天・地・人」として踏まえてきた】
1-36 わかのみちかな ワカの原理なのです。


ここにもアワがありますね。
まだまだ、読み方が未熟なようです。

さて、このシーンはまだソサノヲもワカヒメも、二人とも熊野にいた頃だと思われますが良くはわかりません。

これで1アヤは全部ですが、読めるようになったでしょうか?
考えるのを止めてしまえば池田氏と同じことになってしまいますので、慢心は禁物です。