シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その137〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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ここからしばらくのところでは、事と琴がややこしく展開されますので、じっくりよまないと退屈してしまいます。

8年〈4年〉にわたる動乱の時期が過ぎて平和になったアワクニでは再び文化が蘇ってきました。(と思わせたい)

9-24    うすめみの かなでるおみて    ウス・メ【若い女】がミノ(楽曲名)を奏でるのを見て
9-24    をヲんかみ くわもてつくる    ヲヲンカミが桑で作った
9-24    むゆづこと たまふわかヒめ    ム・ユヅ・コト【6弦琴(弓で細かく左右に振り動かして弾くので、振くと言う)】を賜ったワカヒメは
9-24    ムつにひく かだふきかなて    6弦をそれぞれの作法でカダを振き奏で
9-25    めがはヒれ そのことのねハ    メガ・ハ・ヒレ(音名)、その琴の音は
9-25    いさなぎの かきのかたうつ    イサナギの垣の肩打つ(先代のわだかまりによるハタレアメヱノミチ)の故事)

ここで突然、ナギの時代の足跡ともいえるアメヱのミチが出てきますが、ハタレは発生のきっかけもさまざまであり、クシミカタマは、後世の皇子達に、それらのハタレに対する正確な理解を求めているようです。

いろいろな楽器がでてきますが、まだ読み方が間違っているかもしれません。

9-25    いとすゝき これおミすぢの    イトススキ(楽曲名)、これを三筋の
9-25    ことのねぞ かたちハはなと    琴の音として、カタチ・ハ・ハナ・ト【形・は・花・と、あらましは華をもって】
9-26    くずのはお かだかきとうつ    クズノハ(楽器名)オ、カダカキと一緒に打つ
9-26    ヰすことハ ヰくらにひゞく    ヰス・コト・ハ【五筋の・琴・は】、ヰクラに響く
9-26    ねおわけて ワのアハうたお    音を分けて、ワノアハウタオ【大地の出会いの歌を】
9-26    ヲしゆれハ ことのねとほる    教えれば、琴の音が通る


これだけではどんな楽器なのか想像できませんね。

カダは3弦、クズノハは5弦なんでしょうか。
とすると、6弦の楽器はフキでしょうか?

中華の二胡は2弦でした。
二胡は2本の弦を同時に発音させられるので、人の声のような和声をだすことができるようですが、そのためにそれぞれの弦の間に弓弦をはさんだりしているのですね。

哀愁を帯びた和声を演奏すれば、苦しい生活に荒んでしまったハタレの心をを懐柔できるかもしれませんね。
身体の飢えは心の飢えになってしまうのですから。

だからといって、東朝鮮のアベッちのように、口は出すけど金はださない、なんていう政府なら要らないだけでなく、倒さねばならないのではないですか。
憲法を擁護しない政府は人殺しの暴力そのものです。


9-27    いすきうち ムすぢのことハ    イスキ打ち(奏法名)、六筋の琴は
9-27    ゑひねふる おろちにムつの    酔って眠るオロチに六本の
9-27    ゆつかけて ヤくもうちとぞ    弓弦を掛けて、「八蜘蛛討ち」(楽曲名)と
9-27    なつくなり かだふきかなて    名付けられました。カダを振き奏でて
9-28    めがハヒれ これもてたての    メガ・ハ・ヒレ【茗荷・衣・人列(9アヤ解説参照)】、これも手立ての
9-28    なにしあふ やまだあがたお    名にし負う山田県を
9-28    もちたかに たまえハアわの    モチタカ(イフキヌシ)に、タマエ・ハ・アワ・ノ【賜えば淡(宮)の】
9-28    いふきかみ もろかみはかり    伊吹守は諸守に諮り、

イフキというのは伊吹山の麓の琵琶湖沿岸地帯でしょうかね、だいたい長浜周辺が本貫地でしょうか。
後半ででてくるスマイの里なんていうのもこの付近のようです。
ヤマトの相撲神社はタタネコの時代ですらない後世の人が作ったものでしょう。

イフキドはいろいろと現場で活躍したせいか、知行(ちぎょう)が多くあるようですが、山田県付近では足跡を見つけられませんでした。


左側の大きな川が昔のヒカワ、現在の斐伊川です。
大きく曲がって上の方で右側に延びているのが木次線(きすきせん)、それに沿って流れているのが請川(うけかわ)、山方大橋の先で南に分岐しているのが山田川(やまだがわ)です。
現代ではこの地方は、けっこう神社が多く、熊野神社やらアチスキタカヒコネやら、さまざまに入り乱れていますが、イフキドを祀ったのは無さそうです。
ちょっと前にも貼った山田県は残念なもので、上がりも少なく、代官すら派遣していなかったかもしれません。


9-29    そさのヲが こゝろおよする    ソサノヲがこころを寄せた
9-29    しむのうた みのちりひれハ    シムのウタにより身の塵を払ったので、
9-29    がハきえて たまふヲしてハ    ガが消えて、賜わったヲシテは
9-29    ヒかハかみ はたれねおうつ    ヒ・カハ・カミ【人の・川・上、トミの手本】でした。ハタレネを討った
9-30    いさおしや そこにもとゐお    功績で、そこに基を
9-30    ひらくべし やゑがきはたも    開きなさい、と八重垣畑(段々畑)も
9-30    たまハれハ フたゝびのぼる    賜ったので、再び登る
9-30    アめはれて うやまいもうす    アメは晴れて、ウヤマイ・モウス【敬い申す、(アシナツチの)恩を痛感した】
9-31    くしひより すがはにきつく    クシヒ・ヨリ【屈しい・より、不遇の日々を思い「櫛」を掛けて】、スガ・ハ・ニ・キツク【清端に築く、現須賀川のほとりに築いた(現須我神社)】
9-31    みやのなも くしいなたなり    ミヤの名をクシイナタ【櫛・稲田】としました。

イフキカミはソサノヲが逆境を克服したばかりでなく、父ツキヨミの役に立ったことがよほど嬉しかったのでしょう。
なにしろ、ツキヨミは、ボンヤリさんな性質ですから。


こうして見ると、大して段々畑ではないので、近くに別のところがあって、名物段々畑なのかもしれません。

9-31    さほこくに かえていつもの    こうしてサホコクニの名を変えてイツモ【出雲】の
9-31    くにハこれ アめのみちもて    国になったのです。アメの道を以て(治めたので)
9-32    たみやすく みやならぬまに    タミは安く、ミヤ・ナラ・ヌ・マ・ニ【ミヤ(現稲田神社)ができる前に】


これは稲田神社

ソサノヲが、その才覚で稼ぎ出した豊かなミヤです。
これこそ本当のクシイイナタミヤと言えるでしょう。


9-32    いなたヒめ はらめハうたに    イナタヒメが孕んだのでウタにしました。
9-32    やくもたつ いつもヤゑがき    ヤクモタツ イツモヤヱガキ  八蜘蛛断つ出雲八重垣
9-32    つまこめに やゑがきつくる    ツマコメに ヤヱガキツクル  妻込めに屋描き造る
9-33    そのヤゑがきわ            ソノヤヱガキワ       その八重(の田)が際
9-33    このうたお アねにさゝげて    このウタを姉に捧げて


これは上の地形、クシイナタミヤと考えられる稲田神社の周囲の航空写真です。
ソサノヲは最初、入婿になったのですが、その後自分のミヤを持てるようになったばかりか、婚家に大いなる富を与えたのです。

いかがでしょうか、ホツマツタヱの記述通りのフォークロアが浮かび上がってきますね。
もう一回で9アヤは終わりです。