前回「〜その128〜」でアマテルはどんなルートで真名井まで行ったのかの続きです。
これはアサヒカミといわれる、現比沼麻奈為神社(ひぬままないじんじゃ)
籠神社から15kmほど西に行った山の中にあります。
828 6-16 しかときけ きみハいくよの しかと聞きなさい。キミ(アマテル)はイクヨノ【幾世の、いつの世でも】
829 6-16 みをやなり これとこたちの ミ・ヲヤ・ナリ【御親なのです】コレ・トコタチ・ノ【これはいつでも成り立つ】
830 6-17 ことのりと ほらおとさして コト・ノリ・ト【言宣りです】ホラ・オ・トサシ・テ【洞を閉ざして】
831 6-17 かくれます そのうえにたつ カクレ・マス【お隠れになりました】ソノ・ウエ・ニ・タツ【その上に建つ】
832 6-17 アさヒかみ きみねんころに アサ・ヒ・カミ【浅い・日の・神(の祠)現京丹後市峰山町久次比沼麻奈為神社】、キミは懇ろに
833 6-17 まつりして のちかえまさん お祭りをして、その後帰ろうとすると
834 6-18 みてくるま とゝむるたみお 御手輦を止めるタミ達を
835 6-18 あわれみて みつからまつり 憐れんで、自ら奉りを
836 6-18 きこしめす おもむきつける 聞かれるのでした。その顛末を告げる
このアサヒカミというのが問題でした。
最初は池田先生のようにトヨケだと思っていたのですが、丹後半島付近を調べていくうちに、あまりにも関係者全員の畏敬の念が強いので深読みをする必要があると感じ、何度も見直して気づきました。
アサヒカミは「浅い日の神」つまり、徐福とともに船団の一員として来訪した人々のうち、途中で斃れた人々の霊廟(無名戦士の墓のような)だと、思い至りました。
川筋違いなので、どちらかといえば、天橋立側からは行きづらい所かもしれません。
この霊廟に行くには海路のほうが便利です。
丹後半島をぐるりと回って反対側に竹野川というのがあり、そこからアクセスするのです。
山間といっても100m足らずの標高の所で、河口からの距離はありますが歩いて行くよりは効果的です。
これは竹野川の河口です。
この図の右の方に産土山古墳(うぶすなやまこふん)というのが見えます。
その南には神明山古墳(しんめいやまこふん)
これらは時代違い、つまりアメ族でない渡来人の遺跡と考えるのが論理的です。
ちょっと、天橋立の側に戻りましょう。
814 6-13 たまきねハ ゆきてさほこの タマキネが任地に赴き、サホコの
815 6-13 くにおたす みやつのみやぞ クニを治めたのはミヤツノミヤです。
これは籠神社HPの境内案内から一部引用
こんな具合に船で行くもんなんでしょうね。
籠神社は宮津のミヤでいいのだと思いますが、ここ、籠神社には神宝といわれる鏡があります。
これは前漢に作られたものだそうです
社伝によればホツマツタヱにも出てくる「邊津鏡(へつかがみ)」だとか。
表面にぐるりと、「内而清質以而昭而明而光而夫而日而月」なんていう文が書いてあります。(もちろん漢字)
「而(しこうして)」ばかりでまったく意味がわからない文ですが「内清質以昭明光輝象夫日月」という定型文を書いてあるので昭明鏡(しょうめいきょう)と分類されているようです。(上質で綺麗な鏡です、という意味かな?大手メーカー品?)
もう一面あり、そちらは後漢のものらしいのですが、息津鏡(おきつかがみ)であるとされています。
出所が宮司の海部氏(あまべし)で、あまり信用できそうではありません。
始祖が天火明命とかで、十種神宝(とくさのかんたから)で、さほど外してはいないけど、所詮は旧事本紀からの孫引きじゃね、とか思うわけで、こういうのがあると神社の信用が下がるんですよね。
なにより、この鏡が邊津鏡であるという根拠はどこにもないのです。
昭明鏡の類(たぐい)は被葬者の副葬品で、国内で10面くらいは出土していて、ありふれたものなわけです。
邪馬台国の信者はこういうの大好きですよね。
ひるがえって、同時代でも文書の記録に頼れば異文化であることを弁別することができます。
決定的なのは、ホツマツタヱには北の星、北辰や妙見を信仰する人々のことも書かれている、ということです。
考古学だけでは白樺林の向こう側にいる白馬をシマウマと弁別するのは無理なのです。
ふたたびアサヒカミに戻りましょう。
この古墳のそばに竹野神社という式内社があります。
これはアメ族のプロパティと考えられますが、河口に近すぎて川の上流を知る、というアメ族の規約に反するといえます。
もしかして、この付近で船が難破したのかもしれません。
それゆえ、先に進むことができなかったとか。
後のニニキネの時代でも、カモワレテというのがありましたね。
もし、そうだとすると河口付近で生き延びて他の探検隊が来るのを待つ、というのは理にかなっています。
河口の、海に出てすぐのところに「立岩」というのがあり、これはランドマークに最適です。
探検隊が通りかかれば絶対に見逃がさないでしょう。
これが立岩、玄武岩柱状節理の一枚岩です。
潮時もありますが、砂州を形成しているところは暗礁もあり、トヨタマヒメみたいに泳げれば良いのですが、そうでなかったら終わりですから、注意が必要ですね。
探検隊が難破したらシャレにならないし。
朝鮮半島には海女(あま)の文化があるところは済州島【ちぇじゅど】のみと聞きます。
ホツマツタヱには複数ヶ所でに海女の話がありますが、そればかりか鹿児島の姫でさえも、泳いで命を長らえるのです、しかも臨月の身で。
さて、竹野川を遡行してゆくと、いくつも分岐しながら流れているのがわかります。(上流から見れば合流ですね)
西から来る鱒留川と南からくる竹野川が合流する所です。
ここからもうすこし、鱒留川の上流に行くと最初に貼った比沼麻奈為神社があります。
ロケーションがお分かりいただけたでしょうか、そこから真東に15kmほどの距離に天橋立があるということになります。
本文7アヤに、ソサノヲがハヤスフヒメを見染めて、妻にしようとしたシーンがありました。
985 7-20 まなゐなる かみにまふでる マナイナル【真名井にある】カミ(アサヒカミの神社)に詣でる
986 7-20 そのなかに たおやめアれバ その中に、タオヤメアレバ【たおやかな娘がいたので】
987 7-20 これおとふ まかたちこたふ コレオトフ【これは誰かと聞くと】マ・カ・タチ・コタフ【間・家・達が・答えた
988 7-20 アかつちが はやすふヒめと アカツチのハヤスフヒメと
989 7-21 きこしめし きじおとばせて 聞いたので、使者を立てて、
990 7-21 ちゝにこふ アかつちみやに 父に乞うた。アカツチは宮様なら、
トヨケはアマテルから見れば舅(しゅうと)外祖父(がいそふ)かもしれませんが、アカツチの一族と関係があるとは思えません。
しかし、アメ族全員に崇敬の念を抱かせるには「無念の名もない故人の霊廟」なら折りに触れて参詣するでしょう。
残念なことに、ハヤスフヒメは、ハヤコの嫉妬により誅殺されてしまうのですが。
◇ ◇ ◇
冠状病毒の症状には鼻水はふくまれないそうです。
いま私を襲っているのは花粉による症状です。
シベリアでは明日から大斎が始まります。
ポストが終わる前にシベリアに逃れられればいいのですが。
近代になって、保導連盟事件で殺害された被害者の数は114万人と報告されています。
そして済州島を橋頭堡(きょうとうほ)として半島全域から列島の支配域に逃げ延びた人は50万人にのぼっています。
さらに、まさに、ですよ、まさに厚生労働省の毒牙は日本人を根絶やしにしようとしているのです。
アベッちが意味のある政策をとらなかったということは、まさにですよ、ちょっと、人が天下をとろうとしているときにレッテル貼りはやめてください。(ぉぃぉぃぉぃ)
ネトウヨが思うような朝鮮人を半島に帰らせろ、などというのはナンセンスだということが理解できると思います。
これは文化の構図がそうなっているのです。
周辺から逃げてきた人々は日本人になり、長州人の支配者のように弱者は搾取して殺せばいいと思ってきた人々は東朝鮮人になったのです。
弱者を切り捨てるのみばかりかとするのが命までもも奪おうというのが東朝鮮文化なのです。
311のときに津波がせまっているのに児童を整列させて整然と死にいたらしめるのが東朝鮮の文化なのですね。
公務員は不作為であっても統治行為は「暴力」に相当するので、すでに霞が関によるクーデタは始まっています。
郷原の言っていることに注目してください、厚労省が内乱罪を犯したのですから日本政府は統治権を喪失し、暴力装置を掌握した東朝鮮政府に変貌ているのです。
今、郷原が残った暴力装置を組織したら、上皇陛下は、合法的に彼を征夷大将軍に任命するでしょうね。
まあ、アメ族の姿になぞらえれば、山本太郎が八咫の鏡のトミ、郷原が八重垣の剣のトミでしょうか。
れいわの時代に「カシマタチ」が起きるなんていうのは夢があることで、胸熱な話ではありませんか。
すみやかに私達日本人をシベリアに送って欲しいものです。
さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/