シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その113〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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郷原の行動が気になって、あれこれと調べていたので、自分のところの更新が、手ぬるくなっていました。
予想からすれば国内で政局が先に有り、世界の話は暫く、という感じでしょうか、西入(しゃーにゅー)かも。

今日はホツマツタヱの記述の中でも、シベリア組との関係が最も重要と思われる、「ヤマサカミ」について考察したいと思います。
かつて、古代人の信仰したであろう自然神として、ヤマサ神と書いたことがありました。


このヤマサ信仰というのは日本列島の土着の人々による「地の神」に基づいていたことがわかりました。
アメ族の信仰である、大陸的なタツ=「龍」あるいは「水神」や「山の神」という概念に「死ねば神になる」という思想と、縄文人の、森羅万象を司る精霊的神とが複雑に習合していったのです。

また、同様に以前貼った、

は、ヤマサカミに関する思考を描画したものでした。

その後、何度も読み返し、それでも進展はありませんでした。
今回、言葉の用法をデータベースで掃き出すことにより、どうやら全体の意味が把握できる、という所まで来ました。

22アヤは短いので、一度に全部貼ることもできますが、それでは理解が付いて行かないでしょう。

少しづつ、ただしあまり間をあけずに続けて書いて行きます。

もともと、22アヤは書写と漢文による注釈を付けた和仁估安聡(わにこやすとし)が「たいへん尊いアヤなので毎日詠唱してほしい」と云って、カタカナに音写(そのメソッドがまた怪しい)したものなのです。
それゆえ、私は、ずっとこのアヤの全訳などしたくなかったのですが、そこはそれ、データベースによる抽出作業で私の言語能力が高まり、22アヤを読み解くことができるようになったのです。

オキツヒコは13アヤにも伊勢の道(=夫婦の生き方)のテーマで登場したヤソマカツヒ(=皇室の藩屏)の一人です。
まだ13アヤの解説はしていませんが「〜その66〜」にすこしだけ触れています。
今日の部分では、特にすることは無く、ニハリノミヤを開くにあたって、ヤマサカミに係る祝詞を奏上しているだけの存在に過ぎません。


これはニハリノミヤの遺跡と考えられる新治郡衙跡


 4235 おきつヒこヒみつのはらひ  22 1 オキツヒコ、火、水、土の祓い
 4236 みかまとの         22 1 御竈の
 4237       かみのひみつの 22 1 守の、火、水、土の
 4238 みつのねハ にはりのみやの 22 1 三つの意味は、ニハリの宮に
 4239 わたましに アめのみまこの 22 2 移住されたときにアメノミマコ(=アマテルの孫、ニニキネ)が
 4240 みことのり もりおたまわる 22 2 言われました。警護を任された
 4241 おきつひこ かしきのゆふの 22 2 オキツヒコはカシキ(=炊ぎ、膳部)のユフ(=夕べ、集い)の
 4242 みてぐらに やモよろかみの 22 2 幣(ぬさ)をかざった殿に八方から大勢の
 4243 かんつとえ たかまのはらの 22 3 上(かみ)が集まり、タカマノハラ(天上)の
 4244 かんつかさ アまてらします 22 3 神の司であるアマ(=天)・テラシ(=照らし)・マス(=坐す)
 4245 をヲんかみ ほぎたてまつる 22 3 ヲヲンカミ(=大神)を褒め称える
 4246 のとなかに みかまのほぎの 22 3 お言葉の中に、御竈を讃える
 4247 そのかみハ アめつちひらけ 22 4 その元は、アメの地を拓き
 4248 そむときに くにとこたちの 22 4 始めた時にクニトコタチの
 4249 かんはらみ ヲふヒのみなの 22 4 上(かみ)の思いは、日の名の
 4250 きつをさね ヰくらのかみの 22 4 東西南北と中央の五ケ所の守(かみ)が
 4251 なりいてゝ なゝよのうちの 22 5 成り出て、七代の間、
 4252 あまつこと まつるとほかみ 22 5 アメの事を司るトホカミ
 4253 ゑひための やもとのかみの 22 5 ヱヒタメの八方の上(かみ)に
 4254 まもらせき くにつまつりハ 22 5 守らせた。国の祀りは
 4255 きつをさね むろソヒかみの 22 6 東西南北と中央の建屋(たてや)は十一神(そひかみ)の守人に
 4256 まもらせき このゆえヒゞの 22 6 担当させたので、日々に相当するムロヤの
 4257 みかまとの ゑともりかみと 22 6 御竈のヱトを守護する守人と
 4258 たゝえますなり       22 6 讃えたのだった。


これは「へっつい」と呼ばれる薪の竈です

アヤごとに、全文を良くよまないと、なんでもかんでも「アマテルカミ」になってしまいます。
このアヤでは、アマテルはすでに崩御されています。(つまり神)

 4259 ひさかたの アまてるかみの 22 7 久方の(枕)アメを照らす上(かみ)の
 4260 はつみよに ヒよみのとりの 22 7 初の時代に(=クニトコタチの世に)暦の始まりの
 4261 かおつぐる きつをかなねの 22 7 めでたさを祝って、東西と中央を要とする
 4262 とつぎして としのりかみの 22 7 結びに、トシノリ神が
 4263 あれませる そのソヒかみお 22 8 生まれましたが、その十一神の
 4264 ゑともりと あみやしなうて 22 8 ヱト守りとして護り養う
 4265 ヤみこなる アめフたかみの 22 8 八人の御子が居たのです。アメの二尊(イサナギ・イサナミ)が
 4266 みことのり これにたまハる 22 8 定め、下命した

トシ(=歳)・ノリ(=宣り)・カミ(=神)つまり暦の神とその守人(もりびと)の話なのです。

ここで注意しなくてはならないのは、二尊が定めたのは単純にそれぞれの神を祀る儀式をするだけの、役人なのだということです。


 4267 ヒゑのなは うつろゐのかみ 22 9 一番目の名はウツロヰの守(かみ)
 4268 つぎのなハ しなどべのかみ 22 9 次の名はシナドベの守(かみ)
 4269 ミつのなハ かぐつちのかみ 22 9 三番目はカグツチの守(かみ)
 4270 ヨつのなハ みつはめのかみ 22 9 四番目はミツハメの守(かみ)
 4271 ヰつのなハ はにやすのかみ 22 10 五番目はハニヤスの守(かみ)
 4272 ムつのなハ ソロヲゝとしの 22 10 六番目はソロヲゝトシ(=豊年万作)の
 4273 ちからもる ヲゝとしかみと 22 10 力(ちから)が盛る、ヲヲトシ守(かみ)と
 4274 たゝえます ナゝなわみなの 22 10 称えました。七番目の名は皆の
 4275 もとしける すべやまずみの 22 11 取りまとめ役であるスベ(=統べ)・ヤマ(=山)・ズミ(=住み)の
 4276 かみとなる やおとのかみわ 22 11 守(かみ)です。八番目の御上は
 4277 ほのしづめ たつなみおさむ 22 11 火の神の鎮めをしてタツ(=燃え立つ、火事)・ナミ(=無いこと、火災予防)を治める
 4278 たつたひめ おのおのみなお 22 11 タツタヒメです。それぞれ御名を
 4279 たまハりて こよみおまもる 22 12 賜って、暦の障りを守る
 4280 やまさかみなり        2 12 ヤマサ守(かみ)なのです。

この、スベヤマズミについてもう少し語るなら、林業の司として都市周辺の山に住み、水源と樹木の涵養、そしてヤ(=屋、家屋)・マ(=間、使い)・サ(矮小辞、家の周囲で都市機能を維持する小役人)としての全員を統括していたのでしょう。
大変な苦労をして、池底の泥を峰に上げ、短い期間で都市のすぐ傍まで原生林と見まごうような樹林帯を形成させた大和地方の植生を思い出してください。

そんな話を「〜その73〜」で解説しています。

 5187 かすがくに とぶヒのおかに 24 107 カスガクニを開きました。トブ・ヒ・ノ・オカ(=飛ぶ火の丘、飛火野、現在の奈良公園付近)に
 5188 やまとかわ ほりてつくれる 24 107 大和川を掘って造った
 5189 みかさやま ゐよのいふきハ 24 107 三笠山も、ヰヨ・ノ・イフキ・ハ(=居代、かつて居た伊吹山のふもとに、
 5190 アめやまに うつしたおなす 24 108 これを模した、アメ・ヤマ(=アメ、琵琶湖の近くアメ族の山、天山)を作り、
 5191 あすかきみ かくやまうつし 24 108 アスカヲキミは、(ミヤを)カグヤマに移し、

しかし、なんとも凄いテクノロジですね。
こんなのもヤマサがやっていたのでしょうか、ね。



確かに井堰は小規模なダムの一種ですが、現代の巨大構築物であるダムとは異なり、人間を大自然の一部として純化していると言えるでしょう。
なんか、脈絡無い構成になってしまいましたが、視力の限界で、もう寝ます、続きは明日書きますのでまた見てね。