『インターセプション 盗聴戦(竊聽風雲3)』(2014)を遅くなったけれどもシネマートさんで鑑賞。





原題にあるように、『盗聴犯 死のインサイダー取引(竊聽風雲1)』(2009)、『盗聴犯 狙われたブローカー(竊聽風雲2)』(2011)に続く、監督・脚本:アラン・マック、フェリックス・チョンのコンビによる第三作。







1. 竊聽風雲シリーズとしての位置づけ


アラン・マック&フェリックス・チョンは「インファナル・アフェア」シリーズの脚本家だ。アラン・マックのほうは、インファナル・アフェアシリーズでは脚本だけでなくアンドリュー・ラウの共同監督でもあった。


今回、盗聴「犯」ではなく、盗聴「戦」となって、邦題の上では同じ竊聽風雲シリーズであることがわかりにくくなっている。


とはいえ、そのそも竊聽風雲1と2もストーリー間につながりはなかった。


ただ、キャストがまったく一緒。

古天楽(ルイス・クー)と劉青雲(ラウ・チンワン)、呉彦祖(ダニエル・ウー)の三人。

しかし、仲間か敵かなどの設定はまったく別。


そして、盗聴をすることが、物語のキーポイントになっているというところも一緒。


今回の3も、その点では盗聴がたしかにモチーフになっているのだが、通信環境とスマートフォンがここ数年で飛躍的に進化してしまって、盗聴というよりも盗撮が中心の感じになっている。


物語は謎解きというかサスペンスの要素があるので、結末は書かないでおきます。


たぶん、シネマートさん以外ではDVD発売だけになるだろうけれど、書いてしまうと観る気がなくなっちゃうと思うので。


だから、感想だけ一言。前作、前々作と同様に、やっぱり面白かった!


この連作。

毎回、誰も幸せにならないのである。


1と2では、主要人物の一人に誰か警察の人間がいた。

しかし、3では「全員ワルモノ」。もう、アウトレイジの世界である。


あ、なるほど、警察が関わらない以上、盗聴「犯」であるわけがないんだ。それで盗聴「戦」にしたのね。

でもね、盗聴戦っていうと、それある程度ネタばらししちゃっていることになるんだけれどね~。

今まで気づかなかった。なんたること。。。


ともあれ、みんな悪人なんだから、主要人物たちが、まっとうな結末を迎えられようはずもない。


インファナル・アフェアがそうであったように、救いがない脚本を書くコンビなのだろうが、あれが面白いと思う人なら、本作も楽しめる。


そして、大陸の俳優を使わなきゃならない制約から、てっきりちょい役かと思ってたジョウ・シュン(周迅)がなかなか魅力的な役だった。これは嬉しい誤算。






2. 「丁」:新界住民が持つ特権


さて、物語についての評論は、今回は書かないんだけれど、物語の主題になっている新界地区の地上げというのは実話のようで、今回の主要人物たちにはモデルがいるそうである。


ストーリーをシネマートさんの公式サイトから拝借しちゃうと、


昔から政府と住民との間で土地開発問題が続く香港郊外の新界。

地元の有力者であるロク(ケネス・ツァン)のもと、その甥カムキョン(ラウ・チンワン)らは、大陸の実業家マン(ホアン・レイ)を味方につけ、土地開発に乗じて莫大な利益を上げようと様々な手段を用いて土地を買い漁っていた。

そこへ5年前、彼らの計画に反対するユン(チン・カーロッ)を交通事故で殺した幼馴染のザウ(ルイス・クー)が刑期を終え出所

彼らは歓迎し仲間に迎え入れるが内心は疎ましく思っていた。

それを感じ取ったザウは、獄中で知り合ったハッカーのジョー(ダニエル・ウー)に依頼し、カムキョンたちへ盗聴器を仕掛けさせる。

そこへカムキョンたちの行動を快く思わないロクの娘ユンウィン(ミシェル・イェ)も加わり、運命の歯車が狂いだす。

果たしてこの金と権力と欲にまみれた争いに勝利するのは誰なのか?


っていうような具合。


つまり、新界を新興の高級マンション街に開発しようとする政府の間に割ってはいって利益を得ようとするワルモノが今回の主題である。


香港が、香港島、九龍島からなり、英国への租借背景が違うのは知っていたし、新界という地名も知っていたけれど、新界がそれらともことなる条件で英国に租借されたことは知らなかった。


それから、新界の住民は、いわゆる原住民であり、流れ者がほとんどの多くの香港人と違って、この土地に昔から住んでいた住民(その半数が客家人らしい)には特別な権利が(香港が返還された今でも)あるんだそうだ。


そうした権利(男系が引き継ぐ)のことを「丁」と呼び、この映画のなかでも「丁」の権利を安く買いたたかれる新界住民が哀れに描かれている。


新界を高級マンションに開発するためには、住民たちから新界の土地利用権利を含む「丁」を譲り受ける必要があるからだ。


この「丁」のことも私は、本作で初めて知った。


そのへんの背景に無知だったので、いまいちこの映画の社会性をくみ取れていないかもしれない。


そして、映画のなかで、新界原住民たちの独自性を匂わせるような描写があったかどうかまでは、私の知識ではわからなかった。


ただ、wikipediaの新界原住民のページによると、原住民たちは広東語の下位方言である「囲頭話」を話すという。

そして、その囲頭というのは、新界のまわりに築かれた城壁のような防護壁のことを指すのだという。

たしかに、映画のなかでも、これ何だろうっていう城壁が登場した。なるほど、それが新界原住民の象徴だったのか。





このあたり、私はいまのところ詳しくないし、客家語もわからないので、ちゃんとした論評はできないのだけれど、そうした香港の持つ特殊性とか複雑さを知るためにも、一見して損のない映画だと思う。