シネマート六本木で開催中の「台湾シネマ・コレクション2015」に行ってみてきたのが、この映画。


「おばあちゃんの夢中恋人(原題:的夢中情人)」(2013)。





大阪アジアン映画祭に昨年出品されていた作品で、かつて<台湾語映画>が華やかだった1955-1981年代の台湾ハリウッド=北投温泉が舞台になっているということから、アジア映画好きの私・龍虎としてはぜったいおさえておきたい作品だったんだよね。


それに、予告編を見ると、♪づぢゃっちゃらーっちゃ♪たーたらててー、っていう懐かしき映画音楽的なテーマソングが愉快そうだったし。


そしてそして、その予告では、主演のおばあちゃん役(といっても過去を回想するので若い女の子役)のアンバー・アン(安心亞)のはっちゃけた演技がスゴイ楽しそうだったし。



劇中連発されたアンバー・アンちゃんの叫び(温泉入浴時のシーンです)


白目をむいちゃうグラビアアイドル出身女優アンバー・アン


とにかく見たかったのに、でもでも、去年は大阪アジアン映画祭に行けず、見逃した・・・。


悲しかったです。そのあと、ABCかなんかで関西のみテレビ放送したらしいですが、それも地方在住の私には見るすべなし。

今回はそのリベンジというわけだったんです!


まぁ、見逃したのがよほど悔しかったので、映画の舞台である北投温泉にはその年、行きました。


今はかつての映画の街を匂わす建物として、北投温泉博物館があるのみ。

しかーし、この映画、この北投温泉博物館でも撮影されていることを発見して、ちょっと嬉しかった!



北投温泉博物館の玄関



北投温泉博物館内部(このフロアを使ったシーンが劇中にあったような・・・)


日本統治下の台湾で温泉街だった北投。

この北投温泉博物館は、1913年に台北州庁が静岡の伊豆山温泉をモデルにつくった北投温泉公共浴場が前身なのだそうです。


その後、台湾が国民党下におかれ、1955年頃から絵になる地・北投で映画を撮影するようになった時期に、この公共浴場がどのように使われていたかわかりませんが、現在の北投温泉博物館では、台湾語映画の紹介をダイジェストの形でモニター流ししてくれています。


北投温泉博物館内モニター(このシーンをもじった撮影風景も劇中にあったような・・・)



それにしても、これだけ恋い焦がれ、それこそ夢にまで見た作品「おばあちゃんの夢中恋人」に、やっと出会えて嬉しかった。


いつもながら、ありがとうシネマートさん。

そしてそしてシネマート六本木が閉館なんて悲しすぎる。普段いかない六本木に足を運べたのも、アジア映画みたさゆえ、シネマートのない六本木なんて、私には用はない街にもどっちゃいます。


いやいや、気を取り直して~!


さて、台湾語映画が華やかだった時期が、上で書いたように、1955-1981と、くっきり明確なのはなぜかっていうと、国民党政府が庶民に対して、<国語>いわゆる北京語と同じ発音・文法体系の使用を強く推奨しはじめるからなんですね。

この「おばあちゃんの夢中恋人」劇中でも、台湾語映画が政府によって禁止されていく流れにあるということが匂わされています。


で、この台湾語映画、単に台湾語を主に使用するっていうよりも、低予算の粗製濫造スタイルという特徴があって、ジャンルは様々。庶民の映画という色合いが強かったもの。


「もう、台湾語映画の時代じゃない」という感じの台詞も劇中にありましたけれど、歴史的にも国民党が台湾に上陸して以降、政府主導あるいは党主導のメジャースタジオで、つい最近まで映画が製作され続けてきた台湾において、この時代は低予算で零細映画製作会社が庶民向けの映画を大量生産できた時代だったということになりますね。


ただ、政府によって禁止されたから1981年にバシっと終わったというよりも、翌年1982年から始まった「台湾ニューシネマ(台湾新電影)」の波のほうが、台湾語映画が完全に終わる決定打になったと思われます。


エドワード・ヤンらが『光陰的故事』を発表したのが1982年。


つづいて、ホウ・シャオシェンが『風櫃の少年』(1983年)、『冬冬の夏休み』(1984年)、『童年往事』(同)と立て続けにヒット作を出していきます。


1986年のエドワード・ヤンの『恐怖分子』と、1989年のホウ・シャオシェンの『悲情城市』が海外映画祭で評価されると、いわゆる昔の形での台湾語映画は姿を消さざるを得なかったのでしょうね。


つまり、低予算の映画をたくさん観るより、それなりに予算を投じた対外的に評価される映画が、庶民にも受け入れられる時代になったというような。


そして、台湾ニューシネマと同時期には香港映画における香港ニューウェーブ(香港新浪潮)の台頭があり、それらが台湾にも流入しましたので、台湾語映画で量を保つ必要もなくなったというあたりが、映画史的な流れではないでしょうか。


このへんの映画史的な整理は、今年の大阪アジアン映画祭に出品された『光と陰の物語:台湾新電影(原題:光陰的故事- 台灣新電影)』(2014年)も合わせて見るといいのでしょう。


同作は、かつての台湾ニューシネマをつくった映画人や、その影響を受けた映画人と評論家に取材したドキュメンタリー。





『光と陰の物語:台湾新電影』チラシ



私は運良く見れました。



おっとと、前置きが長くなりましたが、「おばあちゃんの夢中恋人」の話!


シネマートさんのサイトからあらすじを拝借。


小婕は現実と夢の区別がつかなくなる認知症の祖母の面倒を見ているが、病状は日々重くなるばかり。

しかし、そんな祖母との輝かしい日々の想い出を祖父がなつかしそうに聞かせるのだった…。

1960年代、売れっ子脚本家奇生は、満員の映画館に入れず裏の塀を乗り越えて侵入してきた美月と出会う。

彼女はスターに会いたいが為にエキストラになり、彼女の魅力をいち早く見いだした奇生はヒロインに大抜擢する。

二人の間には恋が芽生え、美月は人気女優への階段を昇っていく…。 


引用ここまで。

以上、あらすじというより、物語の冒頭のつかみのところですね。


物語はこうして、現代ではおじいちゃんになってしまった、かつての台湾ハリウッド地区(北投温泉地区)の名脚本家・奇生の回想シーンから始まります。



奇生(おじいちゃん)と美月(おばあちゃん)の出会うシーン


ほとんど海外ヒット作のパクリでいいかげんな脚本を書いてきた奇生が、奇生脚本作品のビッグスターのおっかけだったことをきっかけに映画女優のオーディションを受けに来た美月と出会い、彼女が女優として成長するにつれ、奇生もまたやる気になっていく様も小気味よくて、見ていて和みます。


二時間というやや長い映画なので、途中冗長なシーンがないわけではないけれど、この映画の舞台になっていた古き良き台湾映画の時代から、なんだか去りがたい気持ちになるのだから、ノスタルジックな映画につきものの冗長さだと思ってご勘弁。


映画好きの私は、この映画の世界、かつての台湾語映画が華やかなりし時代、絢爛豪華さが求められた時代の雰囲気にどっぷりとつかりました。




台湾のチラシなどに使われた絢爛豪華なイメージ



それから、この映画の魅力は、劇中に盛り込まれた映画の撮影シーンが、もれなく懐かしの台湾語映画(実際の映画)の引用であったということが、劇終盤のエンドロールで判明するという点。


これ、映画マニアはぜひエンドロールまでじっくり見て欲しい。




このベッドシーンも劇中の撮影シーンに登場していた


どの映画のどのシーンか、ちゃんとエンドロールを見ていればわかるのですが、もはや手に入りにくい台湾語映画なのにDVDを探して観たくなる、そんな台湾語映画へのオマージュ満載の映画なのです。


シネマート六本木で開催中の「台湾シネマ・コレクション2015」にて、ゴールデンウイーク中まで鑑賞することができますよ!!