チャウ・シンチー監督による中国映画。


日本公開初日に観たのですが、時間がなくて本日やっとレビューです。






シンチーが出演していない監督に専念した中国映画ですが、シンチー主演の以下の二部作、


『チャイニーズ・オデッセイ Part1 月光の恋』

 原題:《西遊記第壹佰零壹回之月光寶盒》 (1995香港公開、1996日本公開)





『チャイニーズ・オデッセイ Part2 永遠の恋』

 原題:《西遊記大結局之仙履奇緣》 (1995香港公開、1997日本公開)





との関連性は大いにあります。


まず、超有名なオープニング曲およびクライマックスで使用される曲が一緒です。

この曲、私は大好きです。もう何度聴き返したことか。


物語の因果なつくりも、

<女に惚れられるも、大義の邪魔だと言っていっこうに本気にしない男が、相手を失う間際に真実の愛に気づき、時既に遅いのだが、別れ際に「一万年の」愛を誓う>

というのは全く一緒。


ごめんなさい。上記、若干ネタバレですが、とにかく本映画は、1995年時のものが香港映画(ただし西安電影制片廠との合作すなわち中国資本も多少入っている)なのに対して、完全なる中国映画(ただしシンチーが持つ香港の制作プロダクションも多少出資すなわち中港合作)として作られましたが、前二作の前日譚としてちゃんとシリーズものとして成立しています。


ま、全二作はジェフ・ラウ監督・脚本映画で、本作はシンチー監督・脚本映画なので、その意味では、本来物語の間のつながりは厳密にはないはずなのですが、さすが中国。そこらへんはカタイこと言わないのですな。


個人的なことですが、私、1995年初頭に香港滞在中で、上記のうち、《西遊記大結局之仙履奇緣》のほうだけを映画館で観たのです。


広東語はできなかったし、中国字幕も英語字幕も読むのがやっと(消えるのが早いし、字がちっさい!)だし、パート1から観てないわで、はっきり言って内容は全部はわからなかった。


それにしても、悪ふざけとシリアスのバランスがとっても良かったので、妙に心に残る映画だったんです。


ちなみにその滞在時にもう一個観た映画は、リー・リンチェイ(ジェット・リー)の『給父父的信/My Father Is A Hero)』。





こっちも良かった!


さて、本題に戻ります。


本作のヒロインはスー・チー。妖魔ハンターです。

ヒーローである玄奘(のちの三蔵法師)を演じるのはウェン・ジャン(文章)。


ま、知名度から言ってもスー・チーがメインの扱いになるのですが、主役はもちろん玄奘です。


前二作は至尊寶(のちの斎天大聖こと孫悟空)が主演で、三蔵は脇役なのですが、恋の役回りとしては明らかに玄奘が至尊寶です。


よって、前日譚となる本作で、玄奘が味わった悲恋を、今度は1995年の前二作では孫悟空が味わうという流れですね。


個人的にはこの悲恋、私はすごいツボなんです。

女に言い寄られて、いい迷惑だけれど、想われるということの価値や、真実の愛を後になって理解するも後の祭りって現実にもあるものですよね。

ああ、なんであの人の愛に気づいてあげられなかったのか! っていう感情は、当時の私にぐぐっと来たのですよ。


そして、前二作は「難解」とよく言われたように、私も一回では(しかも香港で観ただけでは)分からなかったので、その後に何度も見返すことになります。


そして、中国人や台湾人の友人ができた頃は、この西遊記の話だけで、一時間くらい盛り上がることができたありがたい作品です。


そう。中国・台湾の人も、前二作が大好きな人が多いんですよ。

「一万年愛する」は中国・台湾・香港、そして香港映画好きな日本人の共通語でした。


で、本作もその切ないトーンがそのままだったので、『ミラクル7号(長江七号)』でシンチーから離れつつあった私の気持ちは、すっかりまたシンチー大好きに戻っていました。


続編がありそうな展開ですが、シンチーの次回作は『美人鱼』という人魚もの。

でもでも、これからも私はシンチーの西遊記作品を待ち続けるんでしょうなぁ。


すいません、今回はまとまりがない文章で。

いつかシンチーの西遊記三作と、ドニー・イェン&アーロン・クオック&チョウ・ユンファの『西遊記大閙天宮』を比較しながら解説する記事を書きますね!




うーん、日本でも知名度のある三大スター共演の「西遊記大閙天宮」、はたして日本公開はあるのだろうか。