ブルース・リーの伝記をブログの話題にしたあと、パラパラと久しぶりに読み直してみて、やっぱりちょっと感慨深かったためか、今度はジャッキー・チェンの伝記が読みたくなった。


すぐに思いついたのは、アメリカのランダムハウスから1998年に出版された『I AM JACKIE CHAN』by Jackie Chan & Jeff Yang。


日本では翌1999年に翻訳が近代映画社から出版された。


私はこの当時、なにかと忙しい時期にあたっていて、この本が本屋さんに並んでいるのを見ながら、いつか買おうと思いつつも、時期を逸してしまったのでした。


そして早15年! うわ、早っ。


amazonで中古で出品されていた本書を手に入れることができました。

プレミアついてて定価の倍近くしたけれど、いいんだいいんだ。これが大人買いというやつだ(違うかな?)と自分を納得させて買って、そして届き次第、パラパラとめくっていたら、急に子どもの頃のジャッキー熱が蘇り、一気に読みましたよ。


ホントにマジで朝まで読み続けました。558ページもある本だったのに!




画像はamazonさんより拝借



15年前のジャッキー自伝。


ジャッキー・チェン=成龍=Jackie Chan

当時も今も香港映画界のスーパースターでハリウッドスター。


この本が出た頃は、ちょうどジャッキーは45歳。

本書プロローグは、ジャッキーが自分の言葉で、ロッテルダムのビルの屋上近くから階下へ駆け下りるスタントを回想するところからはじまる。


16階から飛び降りるという危険なスタントを前に、16階から飛び降りるのでは当たり前過ぎる、さらに五階上から飛び降りようと決意する我らがジャッキー。


そのときの本書のト書きは、こんな感じ。


「ということは45歳の老体が、さらに60フィート余分に薄い空気の中をおちていかなければならないということだ。」






うんうん。45歳と言えばアクションやるには老体ですよ。

そりゃあ今まで幾度となく危険なスタントを見せてくれたジャッキーだけど、今回のスタントは勝手が違う。それは彼が45歳という年齢に達していたからに他ならないわけです。



「僕は疲れている。

 僕の心臓は石でも乗せられたように重い。

 僕の体は、過去40年間濫用し続けた僕に抗議している。


  (中略)


 そんな中で僕は自問する。

 『このジャンプをする必要があるのか?』と。

 答えはすぐに返ってくる。

 「イエス」と。」








以上、画像は映画『WHO AM I』より


そうそう。ジャッキーと言えば自らが危険なスタントをやることが真骨頂。

この映画でも、なにか見所を作りたいと思ったらしいんだな。

三度目のハリウッド進出を三度目の正直にするために。。。


冒頭部分からこんなかんじの一人称の語りで始まる自伝。

とっても引き込まれますよね。


本書の流れを整理しますと、500ページ超なのに章構成はシンプルに四つ。

第一章からは幼い頃の記憶から書かれている。とくに離ればなれになった両親への思いと、京劇学校での過酷な特訓に耐える少年たち(つまり、ジャッキーはじめユン・ピョウとか、サモ・ハンたちね)の交流が胸を打つ。

ここらあたりのことが、『七小福』という映画になってますよね。日本ではDVD化されてないけれど。


第二章がスタントマン時代を描く。デブになりすぎて早めに京劇学校を退団したサモ・ハンがいち早く映画界でそれなりの地位を得て、ジャッキーやユン・ピョウに仕事を回しているあたりの事情もわかる。

少年時代に相当いじめられたので、サモのことが大嫌いなジャッキーの、サモに対する愛憎まじった気持ちの告白は、仲良しだと思ってた私にはちょっとびっくりだった。


第三章はロー・ウェイ影業公司で主役級でデビューしてからの苦労。

このあたりは、芸能ジャーナリズム経由でロー・ウェイ監督(社長でもある)との不仲があったことは、知っていたけれど、ここまでローに対するジャッキーの恨みが深いとは驚いた。


第四章はゴールデン・ハーベスト時代そしてハリウッドへの三度の挑戦が描かれます。

一番、夢のある章ですね。テレサ・テンとの淡いロマンスも本人が亡くなっているのをいいことにチラッと公開。


さて、この本、出た時期から言っても映画題名の呼びかけ「Who am I(私は誰?)」が、書籍名「I am Jackie Chan(僕はジャッキー・チェン)」と答える形になっています。


なんかこの本が出た当時もそう思った記憶があるけれど、すっかり忘れていて、これ書いていて「あ、そっか」と今ごろ再確認したよ。


この本については、ブルース・リーの伝記とはまた違う感慨を持ちました。


おそらく実際の執筆はジェフ・ヤンという共著者(中国系アメリカ人。プロフィールには書いてないけれど広東語がわかるんだろうね)がペンをとっているにせよ、ジャッキー・ファン歴が長い私の目から見ても、一つ一つのエピソードは本人でないと語れないものばかり(と、私が感じるものばかり!)。


ちゃんとジャッキーが逐一自分語りしたものを、一つ一つすくいとって本にしたことがわかるのです。


あるいは、忙しいジャッキーのこと、ロー・ウェイ時代から苦楽をともにしてきた敏腕マネージャーであるウィリー・チェンが語ったという部分もあるかもしれない。


でも、どっちにしたって香港映画史を語る上で、本当に貴重な情報ばかり。

サモ・ハンがスタントマンとしてのキャリアを積んだのは、ブルース・リー映画のBIG BOSS役であるハン・インチェであることは、巨匠キン・フーの伝記本で知っていたけれど、こっちの本では、サモ・ハンが映画界に入りたてでジャッキーらにスタントの口を斡旋するシーンなんかもあって、キン・フー映画にジャッキーやユン・ピョウがエキストラというかスタント出演していたこととがキッチリつながった。


大人になった今頃になって読むと、さらに一層の香港映画史に関する興味と知識を持ってきている私にとって、この本は宝箱のような情報ばかりでありました。

きっと15年前に読んでもここまで発見はなかったな。


さて、前置きはさておき本題へ。


子どものときからジャッキー映画のほとんどを映画館で見てきた私・龍虎。


この本を読んでから、見たくて見たくてたまらなくなったジャッキー映画がいくつかありました。


その一つが、映画館で唯一見逃していたジャッキー映画『成龍拳(原題:剣・花・煙雨江南)』です。


なぜか。


実はこの作品。拳シリーズ(と、日本で勝手に読んでいるだけ)の中では最も日本公開が遅れ、なんどか配給会社である東映のラインナップに予定される(確か1983年公開の「カンニングモンキー天中拳」のパンフには近日公開とあったような覚えがあります)も、延期されるなどして、公開されたのは1984年末近く。


あのヒット作「プロジェクトA」も1984年日本公開なんだけど、こっちは春。

成龍拳は大ヒットした作品のあとにひっそりと秋頃の公開になったんです。

しかも、邦題がねぇ。成龍拳なんて、あるはずないじゃんってな子どもなりの「ファンをバカにするな」って心境があったと思う。

東映には世話になっていたんだけどね。


で、なんで大ファンなのに、見なかったかというと、決定的な理由が一つある。


その頃、日本のファン(といっても私はお子様ファンでしたが)の間でも、ジャッキーがロー・ウェイと契約問題でももめていたことは知られていて、ゴールデン・ハーベストに無事に完全移籍して作品を発表するようになったジャッキーが、ロー・ウェイ時代の作品を嫌っていることも知られるようになってきてたんですな。


で、配給しにくかった理由も、ジャッキー映画にしては「暗い」「つまらない」「残酷」ということもあったらしかったのですが、ファンはそんな情報まですでに日野康一さん経由で入ってくる情報で知っていたんですよ。


だから見なかったわけ。きっとそんなファンは多い作品だと思う。


ほんと、この作品と『新・クレージーモンキー大笑拳(ファンには「醒拳」という名前で知られていた)』だけですよ。見なかったのは。


醒拳はジャッキーの替え玉を使ってロー・ウェイが無理矢理作った怪作だから見なくて当然なのですが、成龍拳までそんな映画と一緒の扱いというのは、ファンとしてはちょっと冷たかったかな?


でも、ジャッキー自身が嫌いな映画と言っているんだもの。無理もないでしょう?


で、『僕はジャッキー・チェン』にもこんなふうに「成龍拳」についてジャッキーによるこっぴどい言葉が書いてある。



「混乱したメロドラマで(中略)プロットは馬鹿馬鹿しいくらい複雑で、映画の真ん中くらいから、僕には筋がまったくわからなくなっていたにもかかわらず、ローは、できるだけ悲劇的な暗い表情をするようにと主張した。」

(『僕はジャッキー・チェン』335頁より)

「この映画を作るのは楽しくなかった。この映画は見ても余り楽しくない」

(『僕はジャッキー・チェン』548頁より)


これらジャッキー自身のお言葉です。


こう書かれちゃうともう見なくていいか、となるところだけれど、私が目を見張ったのは、548頁にあった映画のクレジットの中に、


ライター:クー・ロン


という表記。


え? これって古龍? あの武侠小説の大家の!

脚本が古龍なの!





これを見つけてからさー大変。

次に、主演女優の欄には、


キャスト:チョイ・フォン(別名スー・フェン)


という表記も発見。


え? これってシュー・フォン(徐楓)のこと? あのキン・フー映画の常連の!


ちなみに徐楓のピンインは、Xu Feng、または、Hsu Feng。

カタカナにするなら、楓の部分は本来はフォンと読むのが本来の発音に近い。

しかしながら、中国語翻訳者ではなく、英語の翻訳者だったから、ピンインをそのままローマ字読みでスー・フェンと翻訳して表記したんだろうね。


いやはや、徐楓、古龍、どちらもお子様の私にはその価値がわからなかったのだけれど、大人になるまでに数々の武侠小説の映画化作品を見てきてる。

今なら、古龍が金庸に匹敵する大家なのは知ってる。

そして、キン・フーの古典的名作も見たあとだったから、シー・フォンには興味を引かれる。




香港ポスター。原題は『剣・花・煙雨江南』で古龍の小説題名そのまま


それでそれで、見ることになったわけですよ。ウン10年のときを超え、いまや1000円で買えるようになったDVDをその他のジャッキー作品とまとめて大人買いしてね。




日本公開時ポスター。嘘八百なコピーが並んでます(笑)


結果、観てどうだったか。


なんというか、ジャッキーが言うほど悪い作品ではない。

というか、もしかしたら一筋縄でない復讐劇と愛憎劇が面白い作品かも。


シュー・フォンの演技は相変わらず味わいがあるし。

試しにスクリーンショットから、徐楓の姐さんの勇姿をどぞ。









なんていうか、この女性のまなざしには、どんな映画も強烈な悲壮感が漂っている。

この映画での役どころは、成龍演じるシャオレイの両親を、親の仇と憎む徐楓演じるツァンヤンが、復讐を果たしたのち、敵の息子であるはずのシャオレイを愛してしまうという、難しい役どころ。


5歳のときから親の敵を憎み、自分の頬につけられた刀傷によって人生が台無しになったと信じて、仇討ちだけを誓って生きてきたという、ものすごい屈折している女性なわけですが、なんというかこの徐楓が演じると、妙に説得力があるというか。

この奇想天外な物語を、この女優ひとりのパワーで納得できるものにしているって気がしてくるわけ。


ま、ジャッキー曰く「プロットは馬鹿馬鹿しいくらい複雑」ってことなんだけれど、そうでもないと思えるのね。


これって、やっぱシュー・フォンの魅力ゆえなのかしらね。


映画本編では、ジャッキーの名前「成龍」よりも前に「徐楓」の名前がある。


言うまでもなく、この頃はジャッキーは無名であり、一方の徐楓はキン・フー作品の常連ということで、「武侠影后」とも呼ばれていた人。

成龍拳の予告編でも武侠影后・徐楓と紹介されていました。




だから、この名前が成龍の前にくるのはわかるんだよね。


私、正直言って、未成年の頃にキン・フーの山中傳奇を観たときは、この徐楓という女優に魅力を感じなかった。

いまでも彼女のことを決して美しいとは思えないんだけれど、画面から伝わってくる気迫のようなものは、わかるようになった。


キン・フーが彼女のことを自分の映画のイメージにぴったりの女優と言った理由もなんとなくわかるわけ。


というわけで、成龍よりも徐楓を観たという感じの「成龍拳」でした。


あ、ラストのアクションシーンのロケ地である韓国の世界遺産でもある古刹・仏国寺では、仏像やら稜やらで大暴れしている成龍と申一龍が、遺産破壊行為寸前までやってくれてます。これ、韓国政府はよく許可したなぁ。まぁワイロを役人にあげたら、何でもありだったんだってね、この頃の韓国は(『キン・フー武侠伝影作法』からの情報)。

(撮影当時は世界遺産じゃないけれどさ)


そうそう、豆知識だけど、この映画の音楽をフランキー・チェン(陳勲奇)が入れてたよ。

音楽だけでなく、俳優・監督・武術指導までマルチな才人だけど、そのキャリアの初期にこんな仕事もしていたのね。すごいわ。