(つづき)
(3)1970年代以降、広東語映画の時代へ
北京語映画主流の状況を打ち破ったのが、1970年代に台頭するブルース・リーのカンフー映画、マイケル・ホイらによる「ミスター・ブー」もの香港現代喜劇映画である。
1972年に「ドラゴン危機一発」では、アメリカ帰りのブルース・リーの人気が爆発する。映画としても香港最高記録を塗りかえた。
製作したのが新興のゴールデン・ハーベスト社だったために、本作は広東語映画として撮られていた。
しかも、ブルース・リーが残した四本の主演作は、上海租界が舞台の「ドラゴン怒りの鉄拳」をのぞき、いずれも現代劇であった(舞台が香港だったのは「燃えよドラゴン」のみだが)。
もちろん、ブルース・リーブームによって、台湾向けの北京語版。そして日本を含む欧米マーケットに対して、英語版が作られた。
当時、香港出身の俳優が北京語を操れないということもあって、俳優の声には別人の声優のアフレコがつくのが当たり前であった。これは広東語映画についても同様で、どうせアフレコがあるために、忙しい俳優に代わって声優が声をあとから入れるという習わしが当時の香港映画にはあった。
香港のスタジオがうるさく、同時録音すると喧噪音が入るためにアフレコが行われた側面もあったらしい。
実際、ブルース・リーの自声の台詞が聞けるのはアメリカ映画である「燃えよドラゴン」のみ。
ただ、ブルース本人はそれが不満であったようで、どうにか自分の声の存在感をフィルムに焼き付けられないかと試行錯誤した結果、「ドラゴン怒りの鉄拳」から入れられたのがあの「アチョー」という怪鳥音である。
あの声は並の声優には発せられない。
広東語版、北京語版、英語版のそれぞれで、ブルースの声をあてている声優は違う。
しかし、怪鳥音だけは本人のものである。なんとも素晴らしい発明だ。
(ドラゴン危機一発には怪鳥音は入れられていないが、後に別映画の怪鳥音を合成したバージョンが出回ってしまった)
ちなみに、当時キャセイの映画興行成績はショウ・ブラとの競争に負けて落ち込んでおり、ゴールデン・ハーベストはキャセイの映画スタジオを買収して自社スタジオにしていた。
つまり、北京語映画の一方の雄が消えつつあったのである。
ブルースが1973年に亡くなると、マイケル・ホイの時代が到来する。
マイケル・ホイはもともとはショウ・ブラに所属していたが、同社との契約が切れた後に独立して製作会社をつくり、日本では「ミスター・ブー」シリーズとして知られる一連の作品(日本市場でシリーズ化されただけで、実際はなんのつながりもない作品群)をゴールデン・ハーベストとの共同製作でつくり、いずれも香港歴代記録を次々と塗り替えるヒットとなった。
マイケル・ホイは現代劇にこだわったことはもちろん、広東語映画にすることにもこだわった。会話の面白さ、現代の香港人の滑稽さを描く映画だったため、広東語でしかも自分が声を入れることで面白さをだそうとした。
マイケル・ホイの成功が広東語コメディという主流の映画路線を確立したのである。
「Mr.BOO!」の有名なブルース・リーのパロディシーン
結果的にブルース・リーにしても、マイケル・ホイにしても広東語映画として当初は作られながら、日本を含む全アジアでヒットした。
その後もゴールデン・ハーベストは1980年代にジャッキー・チェンを得て、さらに現代アクションをヒットさせる快進撃を続け、ショウ・ブラの息の根を完全に止めることになる。
(ただし、ジャッキーの自声が映画で聞けるようになるのは、1990年に入ってから)
この時期には、すっかり武侠ものや文芸ものの人気はなくなっていたので、北京語でつくる必然性も減ってきていた。
キャセイに続き、ショウ・ブラも映画製作を終えることで、製作・配給の一貫した流れで市場を支配するよりも、香港映画の現代的魅力をアジアに拡げることに意味が出てきたということもあったと思われる。
80年代にはすでに、上海映画人の世の中から、香港ニューウェーブと呼ばれる新しい映画人へと世代交代がすすんでいたこともあって、香港映画の製作者に北京語話者が少なくなっていた時代がきていた。まさに、香港人による香港映画界になっていたのである。
ショウ・ブラの看板監督だったキン・フーは60年代に台湾に渡り、チャン・チェも70年代の一時期を台湾に行って映画製作していた。彼らはそれぞれ北京出身、上海出身であったが、彼らが香港を一時でも離れねばならなかったことこそ、香港映画界が広東語話者世界へと世代交代していく前触れのように感じるのは私だけだろうか。
以上、香港における北京語映画と広東語映画の略史はいったん終わり。
90年代、00年代をはさみ、純粋な香港映画が少なくなって大陸との共同製作が普通になったいま、再び北京語優勢時代が来ているのではないだろうか。
2010年代が終わる頃、もういちど通史として香港映画の言語マップを総括してみたいものである。