今でも覚えてる一番幼いころの思い出は?
▼本日限定!ブログスタンプ
一番幼いころの思い出というか記憶は…
1歳のときの耳鼻科です。外耳炎か中耳炎に罹り病院に行ったのですが覚えているのは診察室と帰りに見た商店街
そして…、2歳のとき家を替わるので新しい家の下見に行ったとき。まだ、前の方が住んでおられたのですが尋ねたときそこのご両親がまだ帰らてなく薄緑色のワンピを着たお姉ちゃん(そこの娘さん、ずーっと後に中学生だったというのを知りました)がいてサイダーをだしてくれたことと、おもちゃ(本物だったらやばいですね)ピストルがあり、私はそれで遊びたかった…、記憶があります
3歳のときはその家に引っ越したこと、祖母とのこと、そしてその祖母が亡くなり葬式のことなど…、けっこう覚えています
そして4歳…、幼稚園生だった私、休みの日(日曜日)になぜかよそいきを着させられ…、(現)JR京橋駅からタクシーに乗り着いた先が…、すごい大きなお城のような門構えの家。そこでお袋と知らないお爺ちゃんとお婆ちゃんが親しげに話している…。そして、なんとその家には…、鶴、作り物じゃないですよ生きてるやつがいる…。で、先に話したように3歳のときに祖母を亡くしていて、それ以外の祖父母は私が生まれる前に亡くなっていたので…、あのお袋と話しているお爺ちゃんとお婆ちゃんは誰だ…、と思っていた記憶があります
で、そのお爺ちゃんとお婆ちゃんですが…、あのパナソニック創始者の松下幸之助とその奥さま…。
なんで…、となりますが…、私の大叔父、正確にいきますと私の父方の祖母の妹の旦那さんがあの二股ソケットの会社つくったときの共同経営者。親父の話によると大阪電灯(現関西電力)の同僚で一緒に起業しようとなった…、とのこと。どうやら松下幸之助(我が家では「おっちゃん」)が病気になられてそうでその見舞いに
4歳のときの私の記憶は先の通りなのですが、一昨年パナソニックミュージアム - パナソニック ホールディングスに行って調べてきたら…、違うところがいっぱい
まず、場所が兵庫・西宮だったのでJR京橋からタクシーは…、ありえない。そして家に鶴はいなかった…。が…、ミュージアムの学芸員さんによると近くに池があり季節によっては鶴が飛来していたと…
う~ん…、たしかに私には記憶あるのですが…。確かめようにもお袋はいまや認知症が進み私のこと息子と思っているのかもあやしいので…
で、遅れましたがきょうのお昼は…
べたというか定番が一番美味い!
で、もう1つ話題…、先月拙ブログみどりの日 | andrewさんのブログで書きました
これが日本に進出するそうUber to launch self-driving mobility service in Japan - The Japan Times
ほぇ~、よく経産省(になるのかな)許可だした(かどうかは知らんけど)な
乗ってみたいというか欲しいです