小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?
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思い出というか小4まで身体が弱くて欠席日数がクラス1番でした。お袋もそうだったようですが…。いまでは私は年1の健康診断問題なし、お袋は平均年齢をかなり突破しています。
で、きょうのお昼は…
見てください分厚いチャーシュー、そして左側にはニンニクたっぷり、野菜もけっこうな量でお腹いっぱいになりました
さて、いまから450年前のきょう天正3年5月21日(当時のユリウス暦で1575年6月29日。現在のグレゴリオ暦に換算すると1575年7月9日)に織田・徳川連合軍と武田軍が戦った長篠の戦が起こった日です
この戦いいろいろ言われていますが、まずは鉄砲の三段撃ち…
いまはなかった派が主流になってきていますが、私もなかった派
この三段撃ち、欠点というか盲点が…
0 20 40 60秒
1000 + 1000 + 1000 + 1000=4000
3000 3000=6000
1000 + 1000 + 1000 + 1000=4000
3000 3000=6000
再装填に1分かかるとして…、60秒の火力投射量は見ての通りなんですよ。まあ、3000人を1メートル間隔で並んだら3km、並べないし一斉には撃てませんけど…
それに三段というのは3つの部隊という意味では
現在でも軍隊用語で段列というのがあります
赤い印を見てください、鉄砲隊が3ついるのが分かると思います
私的には次の2点
1 武田軍は織田・徳川軍の兵力を把握していなかった
2 武田軍は三方ヶ原の戦いでの成功体験から織田・徳川軍を過小評価していた
2 武田軍は三方ヶ原の戦いでの成功体験から織田・徳川軍を過小評価していた
が大きかったのではと思っています
実際、馬防柵内で討ち死にした武田軍武将が数多くいることから射撃をかいくぐり柵内に入ったものの兵力差で押し切られた…、というのが実態だったのでは…、と考えています