いわゆる、トンデモ系ですが…
以下、Cпутникより転載
「死者の山」-ディアトロフ峠事件から60年 新たに公式の説が発表(https://jp.sputniknews.com/russia/201903045991897/)
ロシア調査委員会は、1959年2月にイーゴリ・ディアトロフ氏が率いる若者の旅行グループが北ウラル山脈のホラート・シャフイル山で死亡した事件で、その原因の調査を終えたと発表した。ホラート・シャフイル山の斜面は、地元の少数民族マンシの言葉で「死者の山」を意味する。
スプートニク日本
事件の発生した1959年、ソ連捜査委員会は、真新しい足跡を追ってディアトロフ氏のグループの死の原因を明らかにしよう試みたものの、成功しなかった。委員会の出した結論は、「旅行グループの死亡原因は、人々が克服することができない不可抗力だった」というものだった。
その後、この事件は「機密」の封印が押されアーカイブスに保管されていたが、半世紀以上に渡り、ロシアのみならず海外でも奇想天外な噂を呼び続けた。そのうちの1つが米国で撮影された長編映画 『ディアトロフ・インシデント』で、映画では事件はある陰謀によるものとの説が唱えられた。
60年の時間が経過した今、ロシア捜査委員会は、「死者の山」の悲劇の新たな調査を行い、ある結論に達した。それは、ディアトロフ氏の旅行グループは、夜中に発生した強力なサイクロンによる雪崩のために犠牲になったというものだった。
雪崩で重い雪が層となってテントの上に被さり、若者たちはパニックに陥った。このため彼らはわずか数秒の間に、ナイフで割いたテントの切れ目から着の身着のままで脱出せざるを得なかった。
捜査委員会は、旅行者たちは、峠を越える際に氷点下40度にさらされ、上着も食べ物もなく、生き残る術を失ったのではないかと考えている。犠牲者の身体に残された致命的な怪我については、委員会は、旅行者らが雪の下に隠された穴に落下したために負ったという説を唱えている。
以上、転載終わり
ディアトロフ峠事件 当時の調査では、一行は摂氏マイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出したとされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体は舌を失っていた。 さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出された。
事件は人里から隔絶した山奥で発生し、生還者も存在しないため未だに全容が解明されず、不明な点が残されている。当時のソ連の捜査当局は “抗いがたい自然の力” によって9人が死に至ったとし、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた。 (Wikipedia=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E5%B3%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6)
サイクロンでこれはないでしょ
こんな映画も…