さて、魏志倭人伝です…
記述の通りいけば沖縄あたりに行くとか…
で、この地図です。
混一疆理図
この感覚だったら、奈良・桜井の纒向遺跡でよいことに…
が…
魏志倭人伝には…
「倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣(倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である)」
と…
暖かった…
奈良、冬はそれなりに寒いです、裸足で貫頭衣では…、無理。
それに…
「當在會稽東治之東(会稽から東冶にかけての東にある)」
「会稽」…、いまの中国・雲南です。
そこから東といえば…
地図通り…?
また、こんな記述も…
「女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至(女王国の東、海を渡って千余里行くと、また国が有り、皆、倭種である。また、侏儒国がその(女王国の)南にある。人の背丈は三、四尺(72㎝~96㎝)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く)」
どこですか…?
で、実際に日本列島には…
■ 赤線が中央構造線、青線に囲まれたオレンジ色の部分はフォッサマグナ(Wikipedia)
で、混一疆理図を見てみると…
ちょうどフォッサマグナの向こうが無いように見えませんか…
分かれていた…
でも、魏志倭人伝に「南」と記されているので暖かい邪馬台国よりさらに南…
というこは東北の縄文、弥生遺跡から「栗」ではなく「マンゴー」が出てきても…
う~ん…、行き詰った…