朝日新聞の「古典百名山:29」はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」…
近代的資本主義が生まれたのはなぜか…、という本ですが…
そこに出てくるのが「予定説」…
その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である(Wikipedia)。
すごいでしょ…
まあ、こういうこと…
我々は神より自由意志を与えられています。だから道が左右二手に分かれている右を行こうが左を行こうがそれは自由…。けど、神はその人が右に行くか左に行くかこの世が始まる前から分かっている…
と、いうことは「その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており」…、ということに…
アダムとエヴァの「禁断の果実」がそうですね…
近代的資本主義に予定説が…、書いてあるのがその本…
筆者の大澤真幸氏はその結論にはふれていませんが、なかなか面白い…
しかし、これって親鸞さんに通じるものがあると思うのは私だけ…
転載できればよかったのですが、無理なので興味のある方はぜひ読んでみてください。
ちなみに「予定説」、プロテスタントの幾つかの教派で受け入れられているものの、ローマのパパさまのところや正教会では取られていません。