日本人操縦の零戦、東京湾で里帰り飛行 | andrewさんのブログ

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昨日、空自奈良基地の基地祭、C130が飛来した…、とか(仕事だったので見てません)

で、東京湾では

以下、朝日新聞より転載

日本人操縦の零戦、東京湾で里帰り飛行 エアレースで(http://www.asahi.com/articles/ASK6152GTK61UEHF008.html)

日本人が操縦する「零戦」が3日、東京湾の上空を飛んだ――。千葉市美浜区で開かれている「レッドブル・エアレース千葉2017」で、零戦が会場上空を3周し、観客を魅了した。4日も飛行する予定。

パイロットを務めたのは米国在住で、操縦士歴40年の柳田一昭さん(66)。操縦を終え、飛行場に戻ってきた柳田さんは「感無量。東京湾の上はとても気持ち良かった」と話した。

機体は、1942年に三菱重工が製造した「零式艦上戦闘機22型」。約10年かけて「零戦里帰りプロジェクト」を進めてきた実業家の石塚政秀さん(56)が所有している。石塚さんによると現在、飛行可能な零戦は世界に4機という。

石塚さんは「日本の技術遺産として飛行できる状態で保存し、日本各地で飛ばすことで平和を考える機会になれば」と話している。(竹谷俊之)

以上、転載終わり

 

 

レースとともに見たかったですね。

超、というか日本では知らない人がいないゼロ戦。

私の世代では絶対ゼロ戦と大和のプラモデルは作ったことがあるはず…

が…

同時期の陸軍の「隼」…

こちらも有名ですが、ゼロ戦ほどでは…

で、両機のスペックをみてもゼロ戦の方が性能は良い…、ですが…

戦後の米のテストでは隼の方が評判が良い…

何故…

たしかガソリンが海軍の方が高オクタンのを使っていたせい…

それに陸軍機には防弾、防漏設備があったようですが…

そんなとこなんでしょうか…

聞いた話ですが戦後の米の日本機のテスト…

1回飛ばすとエンジンがオイルでベトベトになり米整備兵を閉口させたとか…

調べてみるとエンジンのシールの技術(中には紙を使っていたらしい、米は銅)が悪かった…、とか。

日本の航空機って、整備兵の不眠不休のおかげで飛んでたんですね。


最後にエアレース、室屋義秀選手が勝ったそうです。