飛鳥で最大の方墳 - 1辺70メートル、築造640年代/小山田古墳 | andrewさんのブログ

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奈良県明日香村の小山田古墳発掘で墳丘規模は1辺約70メートルと発表されました。


70メートルの方墳といえば…、立派なピラミッド…


以下、奈良新聞より引用


飛鳥で最大の方墳 - 1辺70メートル、築造640年代/小山田古墳(http://www.nara-np.co.jp/20170302093919.html)

2017年3月2日 奈良新聞


平成27年1月に石を貼った巨大な掘割が見つかった明日香村川原の小山田遺跡(7世紀中ごろ)で、横穴式石室の痕跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が1日、発表した。これまでの調査成果も踏まえると、墳丘規模は1辺約70メートルに復元できる。橿考研は「飛鳥地域最大の方墳であることが確定的になった」とし、遺跡名も「小山田古墳」に変更する。


以上、引用終わり


また、舒明天皇か蘇我蝦夷か、被葬者議論も…


以下、同引用


被葬者議論が過熱 - 小山田古墳(http://www.nara-np.co.jp/20170302094412.html)


明日香村川原の小山田遺跡は、飛鳥地域最大の方墳と判明、遺跡名が「小山田古墳」と改称された。盛り土からの瓦片の出土により、築造時期も7世紀中ごろに絞られ、「被葬者は誰か」の議論がますます注目されそうだ。研究者の間では、舒明天皇(641年没)の初葬墓と、蘇我蝦夷(645年没)の墓で見解が二つに分かれている。


引用終わり


私的にはこちらの方が興味あります。


私的には蘇我蝦夷ですが…


が、蘇我蝦夷だったら「乙巳の変(大化の改新)」で討たれているのに…、おかしい…


まあ、そのまえに「蝦夷」っていう名前がおかしいですからね。


蘇我氏、もともとは私の通勤路、奈良県橿原市曽我町のの土着豪族という説があります。


蘇我氏が有名になったのは「丁未の乱」。


それから(それ以前から)厩戸王(聖徳太子=いまはそういう)と結びつき…


で、いろいろあって「乙巳の変」に…


と、教科書ではなっていますが…


日本書紀を編纂したのが「乙巳の変」の勝者、藤原氏ですからね…


さきに言ったように「蝦夷」っていう名前もたぶんそのへんから…


まあ、書けば長くなりますので、今回は…


蝦夷の父、「馬子」、蘇我馬子って「我れ蘇る馬の子」でしょ。


それに「厩戸王」だって…


絶対、なにかありますよ。