先日お送りしました「九州北部で最古級すずり片 文字文化、伊都国からか(http://ameblo.jp/andrewoui/entry-12134665488.html )」。
この解説記事が毎日新聞に掲載されていました。
以下、転載
■解説(http://mainichi.jp/articles/20160302/ddp/041/040/024000c
)
弥生時代でも中国と外交交渉をした北部九州では、文字使用の可能性は以前から指摘されていた。「魏志倭人伝」の記述のほか、福岡市・志賀島の「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」金印(紀元57年)や、銘文のある中国・前漢の銅鏡などの資料も豊富なためだ。
だが、倭人の文字とされる確実な資料は、「竟(鏡)」とされる三雲・井原遺跡の刻書土器、「田」とされる片部(かたべ)遺跡(三重県)の墨書土器など3世紀以降になる。
弥生時代後期には日本国内で文字が書かれていたことを、今回は硯という筆記用具の存在で証明してみせた。「魏志倭人伝」の伊都国の外交現場で見つかったのが大きい。
しかし、この硯が使われた時代に、倭人が文字を使いこなしていた可能性は低い。当時は楽浪郡の人々など渡来人が主な担い手と考えられる。倭人は伊都国の外交現場で文字を学んだのかもしれない。
以上、転載終わり
なるほど…
「倭人が文字を使いこなしていた可能性は低い」
私もそう思います。
が…
習った人はいるのでは…
で…
その人が何語で話していたか…
まあ、十中八は中国語でしょうが…
日本語…
たぶん形になるのは奈良時代でしょうか。
それ以前の日本語…
基になるものはあったでしょ。
言語には「膠着語・屈折語・孤立語」の3つがあります。
日本語は「膠着語」
「屈折語」は英語、仏語…
そして「孤立語」、これは中国語です。
「膠着語」は日本語の他にハングル、モンゴル語、トルコ語など…
ちなみに、確認できる一番古い言語「シュメール語」は「膠着語」です。
ユーラシア大陸の端っこになぜか「膠着語」…
どういう関係なんでしょうかね。