奈良県天理市から「騎射姿の埴輪」…
以下、奈良新聞より転載
騎射の姿?埴輪で初 - 奈良・天理の上ノ山古墳(http://www.nara-np.co.jp/20150609091012.html
)
奈良市田中町と天理市中之庄町にまたがる上ノ山古墳(6世紀前半~中ごろ)で、馬にまたがって弓矢を射る人ともみられる線刻画を描いた埴輪の破片が見つかり、奈良市大安寺西2丁目の市埋蔵文化財センターで展示されている。26日まで。騎射を行う人の絵ではあれば、埴輪では初めてという。
上ノ山古墳は同センターが昨年5~6月、老人ホーム建設に伴って発掘調査を実施。全長約34メートルの前方後円墳だったことが判明し、幅約5メートルの周壕の中から、多数の埴輪片が見つかった。
このうち、線刻画がある埴輪片は前方部周辺で出土。詳しい形状は不明だが、形象埴輪の破片と考えられる。
縦約14センチ、横約7センチで、4本足の動物の上に弓矢のようなものを引く人物らしき絵が刻まれていた。騎射を行う人の絵は高井田横穴墓群(大阪府柏原市)の壁面などで見つかっているが、埴輪では例がないという。
ただ、同センター内部でも、「狩人と犬」や「狩人と獲物の動物」などとする説も。
同センターの森下恵介所長は「何が描かれているか、もう少し検討が必要。多くの人に見てもらって考えてもらいたい」と話している。
公開は午前9時から午後5時(入館は同4時半まで)。土、日曜日と祝日休館。
以上、転載終わり
卑弥呼の頃の日本の記録「魏志倭人伝」には「其地無牛馬虎豹羊鵲」と「馬」はいないことになっています。
日本に「馬」が出てくるの5世紀…
そして最古のものは、その卑弥呼の邪馬台国といわれている(私的には確定)奈良・桜井市箸中の箸墓古墳(卑弥呼の墓といわれる)の周濠から木製の輪鐙が見つかり、これが4世紀初めのものです…。
「騎射」以外の説もあるようですが、「騎射」といえば武士の戦闘方法…
源平の戦いはこれで行われたと考えられています。
馬に乗って矢を射る…
相当の訓練と費用が必要になります。
埴輪からは甲冑を着けていたかどうは定かではありませんが…
馬に乗り、甲冑を着け、弓を射る…
もう、「徴兵」で取られた「市民兵」の敵ではありません。
出てきた埴輪は6世紀のものですが、日本の戦闘方式、いつ頃から変わったのか、興味あるところです。