ロシアのロシア人旧教徒、といってもローマカトリックではありません。
実は私も詳しくは知りません、以前、2本指で十字をかく人がいると聞いたくらいです。
The Voice of Russia にロシア人旧教徒の記事がありましたので紹介いたします。
以下、転載
ロシア人旧教徒、無為は重い罪
ロシア経済の一助となりうるとして、今注目されるのが19世紀末から20世紀にかけてあった最良の企業精神の伝統だ。
「第3のローマ」出版社の編集長で歴史家のマクシム・パシニン氏は、この時期はロシアの資本主義が目覚しい成長を見せた頃だとして、このような見解を表している。この時代は富裕なロシア人商人や企業家らを輩出し、彼らはみなロシアの急速な発展に大きな貢献を成したが、その多くが旧教徒に属していた。古儀式派とも呼ばれるこの宗教集団は、17世紀初めの宗教改革を拒んだ一派でロシア正教の古い伝統と儀礼を守り続けていた。
旧教徒らは非常に教育熱心で、厳しい規律を守って暮らすことで他とは異なる。こうした生きる姿勢は現在まで引き継がれている。自身も旧教徒社会の一員であるパシニン氏は、旧教徒らが厳しく守っているのは儀礼や日曜の礼拝出席だけではないとして、次のように語っている。
「お祭で浮かれて遊び回ったり、酒を飲むことも禁じられていました。何も仕事をしないことも罪だとされていました。人間は働かなければならない。自分の労働で生活の糧をえねばならないのです。旧教徒の商人社会のもうひとつの特徴は互いにしっかり支えあっていたことでしょう。合意を結んだら、それについて法的な書類を調える必要などありませんでした。なぜなら約束を破ることは非常に重い罪だと考えられてきたからです。もし誰かが約束を破ったならば、その人は永久に旧教徒社会から追放されました。」
パシニン氏は、大富豪となったロシアの3大商人、モロゾフ家、リャブシンスキー家、グチコフ家はみな旧教徒らだったと語る。旧教徒商人社会は単に裕福だっただけでなく、その資本を社会の福祉のために使った。旧教徒の多くが慈善家、メセナとして名が聞こえていたが、パシニン氏は彼らがこれだけの成功を収めたことは決して驚くべきことではないとして、さらに次のように語る。
「心、そして頭の両方が秩序だっていれば、生活も秩序だってくるのです。それは物質面も同じです。厳しい生き方を自分に強いることで旧教徒社会はダイナミックに発展していきました。旧教徒たちは非常にダイナミックな人たちで新しい技術をすぐに取り入れていくのです。たとえばリャブシンスキー家の建てた機械製作工場「AMO」がいい例ですが、これが現在の「ZiL」のもとです。パラドックス的ではありますが、精神的には保守的であることが技術発展のダイナミズムを生んだのです。」
歴史家らのなかには、モスクワ大学を創設したかの有名なミハイル・ロモノーソフも旧教徒だったのではないかという声があげられている。博学なロモノーソフは白海沿岸部の裕福な家に生まれている。
「ロモノーソフの履歴には青年期に2年の空白があります。この間、彼がどこにいたのかはわかっていません。ですがおそらく彼は家に戻った後、魚を積んだ荷車をひいてモスクワへ出て、スラヴ・ギリシャ・ラテン語アカデミーに入学したと思われます。入学するにはかなりの教育レベルが必要とされました。北ロシアからぽんと出てきた男であれば、こんな殿堂に入学することなど不可能だったはずなのです。」
パシニン氏や複数の歴史家らは、ロモノーソフはこの間、おそらくヴィゴツキー修道院で学んでいたのではないかとの見方を示している。この修道院は北ロシアの沿岸部における旧教徒の最大の文化的中心地だった。
パシニン氏の試算では現在ロシアには合わせて200-300万人の旧教徒が暮らしている。旧教徒社会の活動は加盟者らが自発的に持ち寄る会費や宗教雑誌の売り上げでまかなわれている。パシニン氏は昔のメセナ活動の伝統も次第に戻りつつあると語る。たとえばヴァリテル・フォト氏。この人はロシアのヨーロッパ地域の北東部にあるウシンスクでピジマ社という大きな運輸会社を経営している。フォト氏の資金で、旧教徒らの最も名な指導者、アヴァクームとその同志らを記念する礼拝堂が2軒建てられた。アヴァクームといえば17世紀の宗教改革に激しく抵抗し、火あぶりに処せられたことであまりにも有名だ。
パシニン氏は、長司祭アヴァクームのような人々を記憶することで旧教徒らは自分たちの伝統を守り、それにそって自分の子どもたちを育て、現代社会の否定的な影響を見事に跳ね返すことが出来るとして、次のように語る。
「今西側でリベラリズムがキリスト教に変質をもたらしている様子を私たちは目の当たりにしています。結局のところ人類の罪はいつの時代もありました。放蕩も同性愛もありました。ただしこれは普通のこととはみなされず、糾弾されてきました。こうした人には、祈りなさい、悪いことから手を洗いなさい、他の人がまねをしないようにしなさいといわれ続けてきました。ところがどうでしょう。こうした行為は今、普通のこととされてしまっています。普通であるはずのことが保守的といわれようとしており、時代遅れとして禁じられようとさえしています。」
厳しい宗教生活を道徳的な分析に対比させることは必要不可欠だ。パシニン氏は、旧教徒らはこどもたちにテレビやコンピューターにあまり見せないようにしていると語るが、それでも機械そのものが「悪魔」であるわけではないため、教育的な内容のビデオを用いるのはよいことだとの考えを示している。
旧教徒らは独自の教育施設では最新の情報技術を用いた教育を施している。パシニン氏は、それでもテレビやコンピューターのスイッチは時には切ったほうがいいと語っている。
以上、転載終わり
詳しくはこちら、VOR(http://rus.ruvr.ru/2014_02_17/Russkie-staroobrjadci-bezdelie-i-narushenie-slova-schitalos-tjazhkim-grehom-3358/
)
ロシア人旧教徒とは、Wikipediaより(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%84%80%E5%BC%8F%E6%B4%BE
)
しかし、「ロシア経済の一助となりうるとして、今注目されるのが19世紀末から20世紀にかけてあった最良の企業精神の伝統だ」とはマックス・ウェーバー先生の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を思い出しますね。