天武・持統陵に立ち入り調査 | andrewさんのブログ

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天武・持統陵に立ち入り調査が行われました。


以下、時事通信より転載


天武・持統陵に立ち入り調査=考古学研究者ら初めて-奈良(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201402/2014022100898&rel=j&g=soc


天武天皇(在位673-686年)と皇后の持統天皇(同690-697年)の合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)を21日、日本考古学協会など15学会の研究者が初めて立ち入り調査した。管理する宮内庁が許可した。所々に露出した石を確認したという。


宮内庁によると、古墳は八角形が5段重なった構造で、最下段は1辺が約15~16メートル、対辺まで約37メートルあるという。この日は、研究者16人が約1時間半かけて周囲を歩いて観察。その後、確認した石材などについて意見を交わした。


研究者の1人は「時期や被葬者が分かる数少ない古墳。方位や尺度が分かれば、(斉明天皇陵説もある)牽牛子塚古墳(同村)の時期などを考える上で意味は大きい」と話した。


以上、転載終わり


研究が進むことを期待します。


天武帝ってけっこう謎の多い天皇。


実は私、乙巳の変(大化の改新)は中大兄皇子(天智帝)、中臣鎌子ではなく大海人皇子(天武帝)、中臣鎌子だと考えています。


そしてそのときの帝は皇極天皇ではなく山背大兄王(聖徳太子の子)が天皇だったと。


蘇我入鹿だけでなく山背大兄王もいっしょに殺害し、それを蘇我氏のせいにした。


だいたいこんなところ、詳しく書くと長くなるのでまたの機会にしますが、その方が流れがすっきりします。


興味のある方検証してみてください。