ついに中国、「古事記」と「日本書紀」をいじりはじめた。
以下、新華経済より転載
「古事記」と「日本書紀」はなぜ、どのようにして作られたのか―中国メディア(http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/372369/)
中国メディア・深セン晩報は29日、「日本の歴史はいつから始まったのか」として、古代の歴史書である「古事記」、「日本書紀」が編纂された背景について論じた記事を掲載した。
古代の日本は氏姓が身分を表す階級制社会だった。貴族をはじめとする土着の氏族、大陸や朝鮮の氏族集団、そして天皇がそれぞれ自らの起源にまつわる伝説を持っていた。日本の古代における歴史書の編纂、すなわち修史は天皇や朝廷の権威を確立することが目的だったのだ。
朝鮮半島から漢字が伝わった日本列島では、各王朝が先祖の口述史を明文化できる文字史の作成を試みたがいずれも失敗した。673年の壬申の乱後に政権を握った天武天皇が自らを権威づけるべく歴史書づくりを試み、712年に「古事記」、720年に「日本書紀」として完成した。倭王の正統な系譜や朝廷の歴史はこの2回の修史によって確立され、ここから天皇制の編年史が始まったのだ。
天武天皇より以前はみな「治天下大王」と称していたが、674年に唐の3代皇帝、高宗が「天皇」を名乗ったのを天武天皇が倣い、以後、代々「天皇」の称号を用い続けた。「王」から「天皇」に変えた背景には、皇太子を葬ったことを忘れさせて新たな歴史を作るとともに、王権を神格化させるという大きな狙いがあったのだ。「古事記」と「日本書紀」でも歴代の王に「天皇」の称号が贈られた。
「記紀」が作られたのは、日本が積極的に中国文化を吸収していた唐代だ。このため、「古事記」中に出てくる名前には「命」、「日本書紀」中の名前には「尊」と、いずれも中国の古典に由来する文字が登場するのである。
注目すべき点は、日本は中国文化に学んで作った祖先史を通じて「悠久の歴史」を持つ中国と対等なポジションに立とうとしたことだ。「古事記」に記載された神武天皇の生没年、ちょうど中国最古の歴史文献がまとめられた東周の時代にあたる。中国の歴史の長さと揃えることで、日本は東アジアにおける民族的地位と自信を高めたのだ。
以上、転載終わり
詳しくはこちら、深圳晚报(http://wb.sznews.com/html/2014-01/29/content_2769054.htm)
けっこうまともなこと書いているじゃないですか、日本の教科書からの転載…