ターjニャ(Таня)さんに聞いたはなし…2 | andrewさんのブログ

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ちょいと昔の話です。


当時私の奥さんであったウクライナ人。


通常話すのはロシア語(ウクライナ語も話せます)、名前も普段はロシア人風に(語尾を変え)しています。


で、聞いてみました


「ウクライナ人がロシア語はなすようになったのはいつ頃?」


私的にはロシア語とウクライナ語は方言のような認識でしたのかなり以前と思っていたのですが


「50年くらい前」


との答え。


第2次大戦後だそうです。


ターニャのさんの話はここから。


第2次大戦後のある日から、新聞、雑誌、ラジオなど全てロシア語に。


もちろん、学校の授業も。


ウクライナ語の授業はあったのですが、いま風にいえば補講。


それも有料。


社会主義のお国ですから教育費は全て無料なのですが、母国語の授業は有料で補講扱い。


そしてウクライナ語でどれだけ良い点数を取っても成績には関係なし。


ターニャさんはウクライナ語授業を受けたそうで、「受けさせてくれた両親に感謝している」と言っていました。


各地に友好記念塔が建てられ、記念日が設けられたそうです。


聞くところによれば東ドイツなど


「やっつけてくれてありがとう」記念日や塔があったそうです。


怖いですねーっ。