クレムリンの住人は甘くない | andrewさんのブログ

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前門のパンダ、後門の熊か。


で私、たぶん平均的な日本人よりロシアは知ってるつもり、わけは


Я русский православный

Я изучал русский язык в Советском Союзе

Моя бывшая жена украинского


で、Таняさんから聞いた話です。Таняさんはウクライナ人、大学の先生です。齢は私より十歳くらい上か。


まず、私はТаняさんやМоя бывшая жена украинскогоがウクライナ語ではなく通常はロシア語話しているので、ウクライナ人がロシア語を話し始めたのはいつ頃かききました。その当時の私の認識ではロシア語とウクライナ語は方言程度に思っていましたので、かなり以前からウクライナ語ではなくロシア語で会話していたと思っていたのですが、答えは第二次大戦後。


それまではウクライナ語で会話していたそうです。そしてウクライナ語とロシア語は別の言語。そういえば文字が違う。私はМоя бывшая жена украинскогоにウクライナの「イ」の音をかなり矯正されました。


で、第二次大戦後、ウクライナでは新聞、ラジオなど公共物はすべてロシア語、そして学校での授業もロシア語になったそうです。


一様ウクライナ語の授業もあったそうです。社会主義のお国なので学校の授業料等は無料なのですが、ウクライナ語の授業は有料。そして学校が終わった後の補講というかたち。もちろんそこで100点とっても成績には関係なし。


まさしく容赦なし。


で、Таняさんキエフ市内で外国人に道を聞かれたそうです。大学の先生なので英語もできるので答えたところその後でКГВのとっ捕まり5時間取り調べを受けたそうです。


基本、ロシア人は英国人や仏人より人懐っこくて感じの良い人が多いのですが、あの塀(Кремль)の住人は別、彼らは容赦ありません。