先日、卑弥呼は弥生的ではなくむしろ弥生を否定していたと書きました。
その卑弥呼の呪術の基になっていたのが、「桃」からもわかるように道教。現在でも「易」「風水」とその後も日本に結構根を張っています。
でも、私は「道教の信者です」という日本人は何人いるんでしょうか。ゼロってことはないでしょうが、日本全体からみればほぼゼロに近い数字では。
クリスマスを祝い、その一週間後には初詣で、最近はハロウィンも祝い(ここまでやったら復活祭もやってほしい)、結婚式で仏式は少数ですが神社か教会でたまには風水や易をし、観光などで訪れた神社や寺などでなんの違和感もなく手を合わす、そして葬式は仏式で。これが平均的な日本人では。
普通はキリスト教なりイスラム教がその人のOSになるのですが、日本人の場合は「日本人OS]というのがあり、その上を各アプリが動いているとしか考えられません。
その「日本人OS]を探っているのですが、まだおぼろげ。
ただ、動きやすいアプリ、動きにくいアプリがあるのは分かります。
たとえば、神道や仏教はすんなり、道教もおいしいとこどり、その逆は日本人の1%しかいないといわれるキリスト教、たしか3000~4000人といわれるイスラム教などは「日本人OS]では動きにくかったアプリでしょうか。でも戦国時代は結構キリスト教徒がいたようなので、条件がうまく合えばキリスト教アプリも動くみたいです。そして戦国時代というのはある意味もっとも日本的でない日本でしたし。
そういえば「左翼」も私はアプリのひとつと考えます。戦後から15~20年は「左翼」アプリが増えた時代では、たぶん戦国時代と同様日本的ではなかった時代なのでしょうか。その残党がいま何故か政府中枢に、時代に「日本人OS」には合ってはいないですね。
こうしてみてみると日本人の行動原理の一部がみえてくるような気がします。