昭和20年8月14日、終戦の一日前に大阪の砲兵工廠が空襲に遭った
私の母の話によると昼間だったにもかかわらず真っ暗になったと
そして、(ここからは噂ですが)その空襲での死者は1万5000人、その遺体が川原に並べられたそうです
しかし、あくる日にはその遺体は消えていたそうで、鶴見の公園に埋めたと言っていてそうです
そのためか、その地は大阪市内でも開発が遅れ地下鉄が出来るまでは陸の孤島などと呼ばれるくらいでした
で、話は変わりますが(ここからは噂ではありません)私、実はフリーランスフォトグラファーなるものをしていた頃がありました。しかし、あくまでもフリーランス、仕事がないときはただのプー。
で、アルバイトを
その時、やっていたアルバイトがガードマン
で、配備された先が大阪花の博覧会会場建設地と大阪城ホール
何故か、鶴見公園と砲兵工廠の跡地
最初の話はあくまでも噂ですが、やはり出ました
で、暑くなってきましたので、その話を
まずは軽いのを
花博の工事中、職員の方が道路を渡る時に我々ガードマンが横断歩道に立って交通誘導(車を止める)をするのですが、最初は職員の方が来られるのを見てから車を止めて「どうぞ」と渡します。けど慣れてくると下が砂利のため、音で近づいて来るのが分かるので職員を見ずに車を止め「どうぞ」と…
いない
あれっ、たしかに
砂利の音でちゃんと距離まで分かったのに…
でなぐあい
もちろん、この経験私だけではありません
いったい、誰が歩いて来たのやら