先日昨年9月にママになったばかりの会社の同僚Mちゃんからメールが届いた。

Mちゃんは、とっても優しい半面で熱いソウルの持ち主で非常にタフな人だと、私は彼女から人生を学ぶことがかなり多い友人の一人である。


そのMちゃんが「アンディは最初に話した言葉はなぁに?」と。


そんなの即答「ママ合格に決まってるじゃん!」と返信した。

だって、私はアンディに事あるごとに「ママは、ねぇ~?」とずーっと話しかけていたんだ、その成果で彼が生後8ヶ月くらいに突然「ママ~」と私を呼び始めたんだよ~とMちゃんに返信した。


でもね、Mちゃん。

本当はこうなのよ。


私はアメリカに越して来てまもなく2年だ。

言葉や文化はまだまだわからない部分、理解に苦しむ面も沢山ある。我慢しなければならない事、言葉が不自由なためにどれだけ苦虫を踏んできた事か。家でも店先でも病院でも「この人英語全然わかってないのになにやってんの?」って何十人に言われてきた事か。

初めての子育てもまだまだ分からない事だらけだし。


普通に33年間日本で生活してきて、社会生活も人並みにこなして、何不自由なく暮らしてきた私が骨をうずめにやってきた、アメリカでこんなに苦戦するとは!

でもそんな苦境に立たされてこの悔しさを何か・・・私を笑う彼らには出来ないたったひとつの何かを見つけて、あたしはちゃんと母親をやってるんだって私を笑うアメリカ人たちに思わせたかったんだ。


それがアンディが発した言葉の第一声「ママ」である。

この何でもない「ママ」という言葉であっても、私にとっては、とても奥深いそして何よりここで暮らしていく私の一つの自信なんだ~。

子育てとは、前にも書いたけれど、親も子供に育てられる。その親ももっと強くなれる正に究極の二人三脚、総合教育である。