左記の記事の中で、
寿司の起源は、おおよそ200年弱前に~という記述をしたのだけれど、
これ、いささか、言葉が足りなかった。
本来からすれば「(ここに挙げる、江戸前と言われる)握り寿司の起源は、」
とするべきなのであって。
「寿司」じたいは、太古から存在して、本来は「鮨」か「鮓」であったと、
空海が編纂した、日本の最も古い字書にも載っている。
文献などを探るに、十世紀ころの紀貫之「土佐日記」に、
アワビのすしの著述もあるし、もう少し遡ると、
中大兄皇子(後の天智天皇)の時代の記録には、
敵の大将首を「すし」にした~というものもある。
むろん、それはカタチを保つため「塩漬け」にしたものであるけれど。
いずれも記述は「すし」である。
時代は移り、文政七年(1824)に出版された、江戸の商店街案内書(※1)には、
上野廣小路東側「翁屋新助」の御料理仕出所は
「御壽し」とあり、
鎌倉河岸道龍閑橋「大和屋」は
「旭御鮨所」とある。
~どうにもこの頃、江戸っぱたの寿司文化には、激変が起こり、
時代の起点となるべき事象が起こったであろうことが、窺える。
(※1)『江戸買物独案内』
これ、まんざら推測では無さそう。というのも、
(※1)「文政末ごろに戎橋南に松の鮨と名づけ江戸風の握り鮨を売る。
是江戸鮨を売るのはじめ也。」
また、別の文献には、
(※2)「文化のはじめごろ、深川六間堀に松ずし出来て世上すしの風一変し~」という、
著述も見て取れる。
さて、はじめの鮨として、世を一変させた、
この「松ずし」というのは、いかなるものか。
この「松ずし」という屋号は、文献(随筆集)(※3)に、江戸後期、
肥前平戸藩主、松浦静山の言として、
~近頃、隅田川東岸の安宅河岸に松鮨という家がある。あるじは松と言って、
うまいと評判が高い。値の高いことも無頓で五寸の器を二重に重ねたのが三両もする~
「三両」とは、どの程度の価値なのか?と問われれば、
日本史を少し学んだ方は、ご存知かとも思うけど、江戸時代の通貨は変動制。
話が、ややこしくなるので、一両(※4)を10万円としてみる。
(私も、そんな様に教わった記憶がある)
~この根拠は、当時のニ八(にはち)そばが16文。
およそ400円とすれば、庶民の食べ物の値段としては妥当か。
ちなみに、屋台や釣瓶鮨で売られていた、安い(ファストフードの)寿司は4文。100円だから、
おおよそ、コンビニのおにぎり程度のものだと推測する。
さすれば、つじつまも合うというもの。
もっとも、その素性たるや、当時の川柳には、
けちくさい鮨には、コハダの皮をめしに貼っつけてある。という揶揄もあるから、
お世辞にも、高価な食物とは言えなかっただろう。
(※1)『守貞漫稿』
(※2)『嬉楽笑覧』
(※3)『甲子夜話』
(※4)元禄13年(1700)からの公定レートは、
金1両、銀60匁(約225g秤量貨幣)、銭4貫(4000)(計数貨幣)文と制定されている。
(米価と賃金では、また算出が異なる)