キレイなメイクにキレイな眉。

別に変なことではないですね。



一般論は、そういったものを、お洒落だと言うのです。


私は、自分の表現を単にキレイにして欲しいではなく、そこにオリジナルな感じを求めたいのです。

あくまでも、自分の持っているものが生きていることが、その条件の一つですが。


軽くしようが、重くしようが、メイクはメイク。


ただ、気持ちの表現の仕方で、そのようなものもある。


メイクは楽しめればいいな。というくらいのものなのに、いつの間にか必需品になってしまってる。

そこが問題ですね。

眉一つでキレイに見えるのなら、そんな簡単なことはない。


やはり、眉一つでいいというにはの、日頃の環境整備が肝心。

どんなことかというと、自然の眉の自己管理。

微妙な表現の維持管理。

そのような心掛けが維持できていれば、いつだってメイクの完成度は高いものが保証されるでしょう。

自己満足さえすればではなく、自己満足にも、その有り方がお洒落という形であって欲しいものですね。


好き勝手に満足は、なんなのかが、どこにあるのか。ですからね。



何気にするメイクはメイクではないです。


意図をもってするからこそ、自分。なんですね。


何故って?? きょうは、こう。とい目的があり、その日その日のちがいがあるんでは?

毎日、しごとだから。そうではないんです。

きょうは、きょうなんです。

だから、あすはあす。


自分の気持ち次第ではありますが。

物真似のメイクに終始するのは、もうやめませんか。


自分の持っているものを大切にすることで、個性というものを、充分に表現出来るということに気がついて欲しいものですね。


いわゆる流行り言葉でおだてられ、その程度でいいきになっても、自分という個性が言われているわけでは無いんですからね。


飾り立てるだけがメイクでは無いんです。

自分と自分の心の向き合い方の結果に過ぎないんですね。

どんな時代になったとしても、個というものは、変わらないものなんですね。

お髪の手入れは、必ずしもなにかを使うのではないんですね。

毛髪というものは、すでに死んでいる細胞ですから、何かで再生できるものではないんです。

コマーシャルなどの躍らせにのっては。


手触り感で、のように。 というのがせいぜいではあるんですね。

自分の持っているものを大切にしようとしないで、お洒落心がある。

などと、思って欲しくは無い。


しゃれっ気があるのなら、その、メイクをなんとかしてくれ。

と、テレビの中の演者に、言っている私は、自分が、何様かというくらいにいかっている自分を、あきれる様に見ている。


なんでかなー。どーして、しろぬりおばけ。


モニターチェックとか、周りの人は、なんとかしようとしないのか。


こんなことは、意外に、日常茶飯事なんですが、もーちょっとなんとかして。

正面から観たときに、眼の位置そのものが左右非対称なんですね。従って、眉の位置も違うことになりますから。


その差を無理に直そうとすると、かえって違和感の元になってしまいますね。

特に眉頭の位置自体がなので、その扱いによって、眼の感覚が難しい。


眉一本抜くにも、そういった感性で、丁寧に扱うことが大切なんですね。

持つ魔力とは、仮面をかぶるがごとくに、自分を、変えられる。と、錯覚させることができます。


本来の自分を捨ててでも、そうありたいと思う、その、心は何なのかと。


何故、自分の元を大切にしようとしないで、他に目を向けると。