また、アイツは馬小屋で仔馬の世話をしているとセルマにきいた。
私だって、胸が潰れそうだ。父上が私の行く末を案じてくれているのはわかる。でも、いきなり
父上の親しい友人の子息との縁談を纏めるなんて?
母上は…お部屋に伺った時、悲しそうにすまなさそうに私に微笑んだ。
「オスカル、察してください。旦那様も私も・・・あなたの幸せしか望んでいないのですから。」
そう言って涙ぐまれた。彼が平民であることが可哀そうだ、とおっしゃった。
何故なら、母上だって幼いころからのアンドレの可愛さやひたむきさを知っていたから。
繊細な女性ゆえに、彼の私に対する想いも、気づいていらっしゃったから。
だから・・・。
かねてより、アンドレを娘婿にと欲しがっていた多くの家の中で、ジャルジェ家の領地に縁のある大きな果樹園の令嬢とアンドレの縁を、ジャルジェ夫人は取り纏めた。せめてもの償いに、アンドレに暖かな家庭の温もりを届けてやりたくて。
アンドレは・・・悲しそうに、でも自分の事を案じてくれる母上の心遣いを受け止めようと,たえた。
「ありがたき幸せ。私などのようなものに、過大なるお心遣いを。」
外堀を埋められてしまった私達・・・というわけか。
フッ・・・・鬼より怖い女隊長がこんなことで職務を全うせねばならぬとはな。
アンドレ会いたいよ。お前は本当に、このまま私と話もせぬまま、向こうに行ってしまうのか?
「いい子だな、マーク。お前母さんに似て、駿馬になるぞ。俺がいなくなったらミシェルのいう事を
よく聞いて、ジャルジェ家の馬車を守っておくれよ?」アンドレは生まれたての栗毛色の瞳の仔馬を愛おし気に撫でた。
衛兵隊の仕事。それが終わったら、屋敷の仕事。馬の世話。
何とかオスカルと、プライベート・タイムを作らないように仕事を見つけていた。そして、いずれ
去らなければならないお屋敷の細かな仕事の数々を若い男達やメイドに引き継ぐ毎日を送っていた。
毎晩オスカルにワインを運び、軽い世間話や甘い愛の言葉を囁いていた日々を、自分の記憶の扉の奥深く、封印しようと努めてきた。
「未練がましいな、俺も。こんな未来が来ることくらいわかっていたはずなのに、な。」
自分に言い聞かせる彼の瞳からツウ…と涙がこぼれた。
朝早く、アンドレが厩舎から愛馬のリュンヌを連れ出そうとしている時、聞きなれた懐かしい声が彼の背中に響いた。
「おはよう。」
「ア…・おはよう、オスカル。どうしたんだこんな早くに。」
「どうしたんだ、だと?お前と話しがしたかったからだ。最近お前と全然話せていない。」
二人は黙って見つめ合った。二人共今の状況を十分理解しているし、アンドレが彼女を遠ざけなければならないことだってオスカルにはわかっていた。
でも、この喪失感を背負ったまま、毎日を過ごすことはできない、という結論に達した彼女は、
今日はどうしてもアンドレに会いたかった。喪失感を背負ったまま、言いたいことも言えないままに
他の男に嫁ぐなど、自分の生き方とは違う、と彼女は確信した。
「どこへ…行く?」オスカルの声は、かすれていた。
「おばあちゃんに頼まれてね。少し遠出になるが美味い栗がたくさんなってる森があるんだ。お前に
マロン・グラッセを振舞いたいんだって。」
「待っててくれ、私も行く。私のマロン・グラッセだろ?私だって吟味する権利はあるはずだ。」
逃げるなよ、と青い瞳をキッとさせ、オスカルは自分の愛馬を連れ出しに厩舎へ行こうとした。
「わかったよ・・・。俺がソレイユを連れてくる。」アンドレはため息をつきながら、オスカルのソレイユを迎えに厩舎へ向かった。この状況では彼女は頑として主張を変えないことを、アンドレは長年の付き合いでよくわかっていた。
秋の日射しは柔らかく、切ない。森でイガイガの中に入っている丸々と光沢のある栗を見つけるたびに、オスカルは子供の様な歓声を上げた。そんな彼女の様子を見て、アンドレも連れてきて
よかったのかもな、と微笑んで作業を進めた。
シンプルなバゲットサンドと泉の水でお昼をすませ、そこそこの量の栗を収穫した。
「これなら、マロン・グラッセの他に、料理にも使えそうだな。帰ろう。」とアンドレはオスカルを促した。
「まだ、帰りたくないよ。」
「ダメだ。秋の日射しはあてにならん。夕方には屋敷に着かないと。」
「おまえはそんなに・・・。」「え・・・・?」
その時、雷鳴が響いた。海のように蒼かった空は、たちまち暗い灰色に染まる。
「まずいな・・・。」アンドレはオスカルを連れて、泉のほとりにある小屋へと向かった。
小屋の木戸をガタガタと開け、中に入ると同時に滝の様な雨が土地を打ち付けはじめた。幸いなことにソレイユとリュンヌを雨宿りさせる軒下もあったので、二人は小屋の中で、雨の勢いがおさまるのを待つことにした。
辺りは栗の他に季節の果実の木も豊かだ。多分、二人のように収穫を楽しむ人たちのために
用意されたものだろうその小屋は、存外、綺麗に掃き清められていた。小さいが暖炉もあり、大きめのひざ掛けが2,3枚椅子の背にかけられている。
「寒くない?」持参してきたブランデーが入っているスキットル・ボトルから琥珀色の液体を少し注ぐと
アンドレはオスカルに差し出した。「風邪ひいたら、大変だよ。」
「ありがとう。」オスカルは苦笑いしながら酒の入った器を彼から受け取ると、一口飲んでほうっと息を吐いた。飲みかけの酒をアンドレに渡すと、ニッコリ笑って飲み干す彼。
ああ、もうこんなことも、できなくなるのかな・・・・。
二人の胸に去来したのは同じ事だったのだろう。少しの沈黙が続いた。
「さっき…私が言いかけたことだけど・・・・。」オスカルが口を開いた。
「お前はそんなに早く、私を屋敷に帰したかったのか?一月もせぬうちに、口もきいたことのない
貴族の男と教会で夫婦の誓いをたてる。その前にお前は・・・父上の領地近くの果樹園のご令嬢と添い遂げるのだな…。」
「お前が誰に嫁ごうとも、俺はお前が幸せであればそれでいい。平民である俺が、今日のこの日までお前とこうしていられたことが、奇跡であり神様のはからいだったんだよ。」
「それでいいのか、アンドレは。私はお前を、お前は私を愛してくれたと今も信じているのに。」
オスカルの声が震えている。
「寒いか?」
「心が…寒い。もっと近くへよっても?」オスカルはアンドレの隣にピタリと体を寄せ、壁にもたれかかった。
「抗えない運命も・・・あるさ。」アンドレは目を閉じ、オスカルの肩にショールを引き寄せた。
ピカッ・・・。稲妻が光った。
「こわいよ・・・!」オスカルがしがみついたその体の柔らかさが、アンドレを困惑させる。
「バッカだなあ、大丈夫だって。」よしよしと茶化し、アンドレはオスカルの金髪を梳いてやった。
「初めては…お前でなきゃ嫌だ、アンドレ。」オスカルは消え入りそうな声で言った。
それが何を意味するのか、アンドレは少しの間、迷った。え?お前はなんてことを・・・?
「オスカル、お前自分が何言ってるのかわかって・・・・。」
その時。
アンドレの唇は彼女のそれに塞がれた。
「フ…ん。どうせ他の男に抱かれるのなら。」オスカルはブラウスのボタンを二つ、外した。
「もう、何も言わせないで。後のボタン、アンドレ、お前がはずしてくれないか?」
雨の音が、二人の声も、涙も搔き消す。
「痛く・・・なかったか?」裸の胸を彼女の前に晒しながら、アンドレはほんのりと桜色に色づき、汗ばんだ彼女の優しく隆起した胸を、太ももを丁寧に拭いてやった。
「痛かったよ・・・。」オスカルは泣きながら、笑った。
「忘れない、この痛み。これで私は、生きていける。」
二人はもう一度、敷布の上で、お互いの体温を分け合った。
優しい雨はなおも、いずれ別たれる二人の若者の逢瀬を包んでくれた。