「私は、ウエッジウッドのワイルドストロベリーで紅茶を。」
「私は、ビングのクリスマスローズで炭焼珈琲を。」
店主がブランドにこだわらず、東西を駆け巡って好みの食器を買い付けてきてはお客を楽しませているカフェ・フランボワーズで、セシリアとルーシーは、久々の再会を喜んだ。
「姉さま、元気だった?」セシリアは珈琲を口にすると、嬉しそうにルーシーに微笑んだ。
「おかげ様でね。今は現役を退いてカレムとのんびり過ごしているわ。あなたは?相変わらず子供達を相手に?」
「う~ん。私は教育の仕事が趣味みたいなものだもの。もっともお姉様みたいに素敵な旦那様がいれば、少しは変わっていたかな。」今は亡き主人に思いを馳せ、セシリアは窓ガラスの向こうを見た。
そんな妹が、眩しくもあり、かわいそうでもあり、何よりも愛おしかった。
厳しい父の元で育てられた姉妹は、いつか家庭を持ったらうんと子供を甘やかしてあげようね、と
いつもベッドに入りながら話していた。
そんな仲良しの姉妹だったが、ルーシーにはロイヤル・マクミランを継ぐという、責務があった。幼少の頃からそれを感じていた彼女は、妹の伸びやかな感性が眩しかった。
セシリアは、小さい頃から読書好きで、向学心旺盛な子供へと成長した。自分が住まう美しいパリで、かつて市民による革命が起きたことに驚き、ベトナム戦争や体制に反発する大学生による学生運動があったことは、彼女の進路に少なからずも影響を与えた。
自分は何不自由なく、学ぶことができた。その授けられた教育や、知識を子供達に伝えなければ、私の人生は意味ないものになる、と。
大学卒業後、教師になった彼女は同じ志をもつ同僚の男性と恋に堕ちた。セシリアは彼と結婚し、
姉と語ったように、明るい家庭を築いた・・・・でも、それは長くは続かなかった。
結婚して2年目、東南アジアのある国を大型台風が襲った。その悲惨な状況をネットで知った夫は、
「すぐに帰ってくるから。」とボランティアとしてその国に渡った。
「だってセシリア。この国は、かつてフランスが植民地にしていて随分フランスのために働いた国なんだよ。」
そんな彼の優しさを、セシリアはただ笑って見ているしかなかった。
夫は他のボランティアと共に、被災した家屋の修繕の手伝いなどをしていた。そんなある夜。
小さな店のドアを叩き割り、金目のものを物色している若者達を遭遇してしまった彼は、彼等をとめようとした。職もなく、災害で住むところも失った彼等は、何か汚い言葉を発し、叩き割ったガラスの大きな破片で彼を、刺した。
翌日、窃盗容疑で逮捕された彼等の罪状は、数時間後に殺人容疑に切り替わった。
その知らせを、セシリアは、生まれたばかりの娘セシルとともに聞いた。
娘を抱えながら涙にかき暮れるセシリアを抱きしめ、ルーシーは、生まれた子供を自分達の養女に迎えるのはどうだろうか、と提案した。そしてセシリアにはもう一度、新しい幸せを見つけてほしいと思ったのだ。
でもセシリアは、感謝しつつも姉の申し出を辞退した。だって、夫の望む私はこんな涙にかきくれる姿ではなかったはずだもの。
夫の葬儀を終え、参列者や友人への礼や挨拶を一通り済ませた後、セシリアは職場に復帰した。
子供を抱え、現実に向き合い生きていこうとする妹のために、ルーシーは、ベビーシッターを探してくれた。
黒髪で優しい黒い瞳の女性、ミランダ。田舎育ちでおおらかなミランダは、セシリアの良い話し相手となった。仕事から疲れて帰ってくる彼女に、暖かいお茶を淹れてくれながらその日一日のセシルの様子を話してくれる一時がセシリアにとって安らぎの一時であった
ミランダには一人息子がいた。母親似の黒い瞳に黒い髪の可愛い男の子。一度だけだが、セシリアの住むマンションにミランダに連れられてきたことがあった。セシルが大きくなったら、一緒に遊んであげてね、と話しかけるセシリアに満面の笑顔で頷いていたその子の名はアンドレと言った。
ところが、ミランダの夫は実家が経営するカフェを継ぐために、プロバンスへ帰ることになった。
当然ミランダとアンドレもセシリア親子とお別れすることになった。引っ越しや、諸々の整理のため、
ベビーシッターを辞めざるを得なかったミランダは、セシリアとの別れを惜しんだ。
ミランダが辞めてからまもなく、セシリアの元に、家庭教師の話が舞い込んできた。女の子ばかり6人もいるジャルジェ家の家庭教師。時間も緩やかで、雇い主も温厚な夫婦と聞いて、セシリアは
その申し出を受けることにした。セシルもある程度手がかからなくなり、学校の教師としての責務にセシリアは少々疲れていたこともあった。
仕事は楽しかった。素直で明るい子供達。中でも末娘のオスカルは自分によく懐き、自分の事を、
「先生」と呼んで慕ってくれ、たくさんの事を質問してくれる子だった。
ある日オスカルを連れて公園に散歩に行った時、アイスクリームの屋台を見つけた。結婚後の姉が始めた、とても人気のある「ルーシー・アイスクリーム。」
美味しそうにアイスを頬張る同い年位の子供達を羨ましそうに見ているオスカルを見て、セシリアは
アイスを二つ買い求め、ベンチで一緒に食べた。その時の彼女の嬉しそうな顔がなんともかわいかった。
懐かしい記憶をたどっていると、無性にあのアイスクリームが食べたくなった。
「そう言えば姉様の屋台のアイスクリーム、美味しかったわ。」セシリアがポツリとつぶやくと、
ルーシーは驚いた。久しぶりにルーシー・アイスクリームが屋台で復活したことを話しにきたのに
セシリアの方から話がでたのだから。
「実はね、あのアイスクリーム、期限付きだけど復活してるの。今日はあなたにそれを報告したくてね。もっともレシピだけ教えて屋台はカッコいいカフェの店長にお願いしているんだけど。」
「本当に?ああ、ぜひもう一度味わってみたいわ。」
「そうこなくちゃ。おばさん一人で公園にアイスクリームを食べに行くのも寂しいから誘いたかったの。
じゃあ、決まりね。」
ルーシーもまた、楽しく思い出していた。妹が家庭教師先の可愛い金髪の女の子を連れて公園に来てくれていたこと。その子が黒髪の可愛い男の子と座ってお喋りしていたことを。
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「ルーシー・アイスクリーム」の公園での営業を始めてから1週間が経過した。味はもちろんだが、
アンドレをはじめ、洗練されたエトワールのスタッフ達の笑顔が子供連れの若い母親や、お昼休みの
女性達に好評で材料が余ることはなかった。そんな中で、アンドレはオスカルがあれ以来来ないことを気にしていた。連絡先を書いたメモなど渡して軽率だっただろうか、とんだストーカー野郎だと
警戒させてしまったのかな?
「バカなことをしちゃったかな・・。」心の中でつぶやきながらも笑顔で応対をしていたその時。
「あの・・・ごめんなさい。仕事忙しくってまた遅くなってしまって。」悪びれた風に囁くような声が
アンドレの心を覚醒させた。
「あ…ごめんなさい。今日はもう、売り切れてしまって。」ジャンがすまなさそうに応対している相手は、
残念そうに微笑むオスカルだった。アンドレと目が合うと、彼女の顔はぱあっと明るくなった・・・
とアンドレは勝手に解釈し、ジャンには「知り合いなんだ。ちょっとここたのむ。」と言って、屋台から外に出た。
気づかなかったけど、こんなに背が高かったんだ・・・オスカルは少し驚いた。自分は結構背が高い方だが、さらに頭一つ分、彼の方が背が高い。その彼は今、自分を心配そうに見つめてくれていることに
胸ときめいた。
「失礼なメモを渡してしまって・・・もう来てくれないかと思った。」
「え?いいえそうじゃないんです。なんだか忙しくて。ごめんなさい、一緒にアイスを食べるって約束、忘れていたわけじゃないんです。メモだってとても嬉しかった。でもごめんなさい。アイス売切れちゃったしその・・・。」冷たいほどに美しい外見の彼女が、しどろもどろに弁解する様を見て、アンドレは吹き出してしまった。オスカルは瞳を大きく見開いた。「え?私何か変な事いった?」
「いや全然、気にしないで。この店を出す前にさんざん試行錯誤しながら味見してるし、お客の入りも上々だから。それにね。」アンドレはオスカルに囁いた。
「実はアイスよりも、君を食事に誘いたかったんだ。君、お酒は?」
「大好き。」
「じゃあ決まりだな。もうすっぽかされたくないから、今夜8時。あのビルの10階にエトワールがあるんだけど、1階にバーガーショップがあるからそこで待ってて。」
長い指先で、アンドレは公園の向こうのビルを指さした。この、普通だったら随分とせっかちで一方的な誘いに彼女の心臓の鼓動は早まっていた。
「別にすっぽかしたわけじゃないけど…了解。それと・・・。」
「なに?」
「連絡先のメモ書いてないの。その代りに一時間後にあなた宛てに電話してみる。それでいい?」
アンドレは一瞬驚いた後、満面の笑みを湛えて頷いた。
トクントクン・・・胸の鼓動はまだ鳴りやまないが、とりあえず今日の仕事の段取りを考え、
8時に待ち合わせ場所に行こう、とオスカルの頭の中はすさまじく早く回転していた。
そんな彼女の空耳だろうか。
「オスカル、頑張れ。」とジェシーのエールの声が聞こえた。
長い間のスランプで・・・やっとupしようとした昨夜、東北に大きな地震が。災害のシーン、書き換えたのですが、少し迷いながらの投稿です。コロナに加え、不気味な地震は本当に怖い。北関東も揺れましたが、宮城県をはじめ、東北の皆様にお見舞い申し上げます。