ゾフィー=コルベールの胸騒ぎは止まらなかった。
思春期に入った頃から、フランツは何か問題を起こす前、或いはその直後すごく自分に対して深い労わりの態度を示すのだ。いや、もとより自分に対してはいつも”普通の息子”であるだけにゾフィーは息子がわからなくなる。
息子が急に言い出した、今日のアンドレの来訪と、身に覚えのない彼の店へのクレーム。その後の息子の態度がおかしい。何か、何か悪い事を企んでいるのだろうか、あの子は。
秘書にコーヒーを運ばせ、執務室のデスクでゾフィーはそっと目を閉じた。最近の息子の行動で何か変わったことはあったろうか。そう言えば・・・・。
カードの支払い明細書に高額なスーツの代金、その下に「ラベルヴィ」「パーテイ―参加費」という項目があった。さして気にも留めていなかったが、その頃から、「何か」が変わったような気がする。
ラベルヴィ、ラベルヴィ・・・どこかで聞いた名前だ。パーテイ―・・・・?
あ、思い出した。以前、女性実業家ばかりを集めてのチャリティーコンサートがあったっけ。
その時に演奏されたある映画音楽に感動して、柄にもなく泣けてしまった時、ハンカチを差し出してくれた女性がいた。
「私もこの曲、好きなんです。最後の恋人との別離のシーン、思い出すんですよね。」
それがジャンヌ・ド・ラ・モット・・・婚活業界の新星といわれているラベルヴィの女社長との最初の出会いだった。
さばさばとした性格に、ブランド品を嫌味なく身に付け頭の回転もいい彼女と、ゾフィーは大変意気投合した。それ以来、お互いの忙しい合間をぬっては食事をしたり、たまにはいいわよね、と趣味のいいホストクラブへ遊びに行ったりもした。
フランツが・・・ジャンヌの会社の婚活パーテイに出席した?それはとっても明るい話題であり、詮索する気はさらさらないけど、何か引っかかる。ゾフィーは、ジャンヌに電話をした。
「久しぶり、ジャンヌ。ゾフィーよ。ゾフィー・コルベール。」
「まあ社長。お久しぶりです。お元気ですか?」
「貧乏暇なしだわ、まったく。ところでどこかでお食事でもいかが?少しお話したいことが。」
「・・・・わかりました。じゃあ、ラ・ファイエットビルに入ってる中華飯店で。個室をお取りしておきます。」
「楽しみにしているわ、ジャンヌ。」
ゾフィーは机の上を片付けて、帰り支度をすると、秘書にタクシーを手配させた。
アンドレの部屋にて。
「ワインを温めてみたわ。落ち着いたらこれを飲ませてあげて。」グラスに注がれたヴァン・ショーをアンドレに差し出し、マリはジョアンナと共に、帰り支度を終わらせた。
「すまない、マリ、ジョアンナ。今度メシでもおごらせて。」
「本当?やったあ、私ハンバーグがいいな。」とジョアンナ。
「じゃ、私はステーキ・セットのグラスワインつきにしよう。」とマリは言って、アンドレにこっそり耳打ちした。
「しっかり看病してあげてね。事と次第では、彼女に明日欠勤できるか聞いてみたら?今はアンドレ、
あなたが傍にいてあげることが一番だから。」
「ありがとう、そうしてみるよ。」アンドレはマリとジョアンナを軽くハグして、玄関まで見送った。
アンドレが奥のベッドルームに戻ると、オスカルはまだ浅い眠りから目覚めない。彼女の顔を覗き込み、アンドレはそうっとつぶやいた。
「えっと・・・お姫様って言うのは、王子様のキスで目をさますもんだが・・・やってみる?」
心なしか嬉しそうな顔をしていないか・・・そんな勝手な解釈をしつつも、アンドレは彼女の頬に張り付いた髪をどけてやって、タオルで額を拭いてやった。
「ア…ンドレ?」オスカルは不安げな声で、目を開いた。彼女の手をアンドレはそっと取った。
「お目覚めかい?たった今、襲おうと思ったんだけどなあ。」大袈裟に落胆するアンドレに彼女はホッと
微笑んだ。
「これ、飲んでみて。ヴァン・ショー。暖かくて落ち着くから。」
「ありがとう」両手でグラスを持ち、ゆっくりと飲んでみる。「美味しい.。」
「よかった。マリとジョアンナがお大事にって。」アンドレはニッコリして、ベッド脇に椅子を持ってきて
座った。
「何があった?俺が今日行ったコルベール食品と何かあったの?いやじゃなければ、ゆっくりでいいから話してみて。」そう言って彼は、オスカルの頬に手をあてた。
触れられた大きな手の平から伝わる温もりがオスカルの理性を取り戻してくれたらしい。オスカルはポツリポツリと、ジャンヌの頼みで、婚活パーテイに義理で出席したこと、その時に同席していたフランツに
迂闊にも勤務先を教えてしまったこと、そのフランツが実は、コルベール食品の御曹司で、自分に執拗なアプローチを続けている事を打ち明けた。
「それで、どうしても不安で・・・アンドレに会いたくて来てしまったの。」オスカルは俯いていった。
アンドレはベッドに上半身起きている彼女を両手で抱き包んだ。
「ずっと・・・・こうして俺のベッドに拘束しておきたいよ・・・。」アンドレは鼻先で彼女の髪の香りを楽しんだ。「今日は金木犀の香り?」
「私も・・・ここにいたいな、ずうっと。」オスカルはそうっと目を閉じた。
「ね、金髪の女の子に何か思い出が?マリが言ってた。私がアンドレの想い人だってすぐわかったって。」
「それはね・・・。」アンドレは彼女の瞳を見つめた。
「もう金輪際、婚活パーテイには行きません、と誓ったら、教えてあげる。」
「もう!意地悪だな、アンドレ。」アンドレの腕の中で、モソモソ動こうとするオスカルを彼はしっかりと抱きしめた。
「キス、するよ?」
「ええ。」
オスカルは彼の唇を受けとめるため、少し顔を傾けた。アンドレの手が彼女の両頬を包み、唇を合わせようと顔を寄せた。
その時だ。彼女の鞄の奥から響く着信音。オスカルは眉をひそめ、携帯を手に取った。
「こんばんわ、オスカル。君の声が聞けて嬉しいよ。」
オスカルは頭から冷水をかけられたような気がした。フランツからだった。彼女が無言でいると、フランツは続けた。「何故、何も言ってくれないの?」
「あなたね、連日の贈り物。悪いけど受け取れない。それに今日、アンドレに・・・。」
「おっと・・・。あいつの話はしないでほしいな。君から悪い虫を追っ払いたかったけど、運のいいやつだ。
・・・・それにしても可愛いね、君の猫は。今は僕の膝の上にいるよ。」
オスカルは悲鳴を上げた。
アンドレはオスカルから携帯をひったくると、フランツに叫んだ。
「君か!オスカルを追い回して、今日は俺を・・・!」
「ああ、君かあ~。ひょっとしたら母さんを久しぶりに女にしてくれるかと思ったのに。それよりオスカルに伝えて。シマシマの猫ちゃん、返して欲しかったらホテル・パンセの6階のスイートに来るように言ってよ。
いいね、一人で来るように言って。言ってる意味、わかるよね。」
そこで、電話は、切れた。
もうすぐ、クリスマス・・・・