教会に隣接している救護所とは別棟の建物の中は、綺麗に掃き清められ、ベッドの脇は、太陽の光が充分に入るよう、比較的大きな窓が嵌め込まれていた。それでも病に伏している病人の事をおもんばかって、ブルーグレイの涼し気なカーテンが掛けられている。ベッドには、本来なら輝く金髪とやや勝気な美しい顔の患者が、病と、とてつもない疲労から頬をやせ細らせ、艶を失った髪で病床に伏していた。そんな彼女の顔を、幾度となく撫でさすり、片方の手では彼女の手を握り締める男がベッド脇の粗末な椅子に座っている。
時々顔をしかめるのは、彼自身もまた、体を貫通した鉄砲玉による傷がひどく痛むためだろう。
「今ベッドに寝ている人は、衛兵隊隊長オスカル・フランソワだ。貴族…だった。それに女性だから、こっちの建物で療養してもらってる。」アランは教えてくれた。
「ア…ンドレ?」アランに真っ向から反発し、どうしてもアンドレに会いたいと言ったエレナは、別棟にあるこの病室に案内されると、自分が手にしている花束にしっかりとしがみついた。
自分がとまどいながらも淡い恋心を寄せていたアンドレ。その恋はやぶれてしまったと予感はしていた。でも今、病床に伏している美しい女の人の髪を、頬を撫でさすっている姿を見た時に、悲しい予感が改めて真実になったことをエレナは知った。
「…これで、納得したか?エレナ。」傍にいたアランは少女の心を思うと切なくて、わざとぶっきらぼうに言った。こんな時、優しい言葉は鋭い刃にしかならないから。
「ロデイのところまで送ってやるよ。こんな時でも女に飢えた男は周りにうじゃうじゃしてるからな。物騒な世の中さ。」
エレナの肩に手をかけて、アランが部屋を出ようとした。その時だった。
「これは…ひまわりと山百合の香り…かな?あ‥‥もしかするとエレナ?花を、俺に
花を届けに来てくれた?」
なんて懐かしい、柔らかな、低い声なんだろう…エレナはアンドレの元へゆるゆると歩いて行った。「わかるの?アンドレ。ひまわりの花、そんなに香り、しないよ?」
「エレナ、このバカ野郎はな、目が見えないのに戦場に出たんだ。全く…バカだよな。」
アランはそれ以上言葉が出なくって天井を向いた。大きな肩が震えている。
「よせよ、アラン。エレナには関係ない事だろ?」アンドレは、まるで見えているかのように、
エレナを手招きした。夏の暑さで前をはだけた軍服のおくは、包帯でぐるぐるに巻かれている。
「アンドレ、痛くないの?…それに、本当に目、見えていないの?」
自分の手を包んでくれる大きな手を見て、エレナは泣きそうになる。
「ごめんなさい、私。もっと早くにひまわり持ってこれなくって。」
アンドレの目が見えているうちに…悲しくって口に出せないこの想い。
「泣くな、エレナ。」何も映さないのに、彼の目は美しく黒く澄んでいる。
「俺の目は徐々に光をうしなっていったけど、この数か月、エレナが持ってきてくれた花がどんなに俺の心を和ませてくれたことか。そして目が見えなくなる直前に見たのは、エレナの
ゼラニウムだった。美しかった。だから、悲しまないで。」
もうだめだ、私。エレナはアンドレの胸にすがって号泣した。そんな彼女の髪をアンドレは
そっと、撫でさすり、肩を抱いた。
こんなに優しいのに、アンドレの心の中には、この綺麗な金髪の女の人がいるんだよね…
同じように私の髪を触ってくれているのに。
「アンドレ。ひまわりを見せてあげたい人って、このひとなんでしょ?」エレナはきいた。
「うん。彼女がひまわり畑を見たいと言ってたんだ。でも俺は多分その頃にはもう見えていないだろうってわかっていたからね。よかった、今日エレナがひまわりを持ってきてくれた。
目覚めたら彼女は喜ぶと思う。」
エレナはベッドのオスカルを見た。なんて、何て美しい人なんだろう。小さい頃母さんが話してくれた、お城に住むお姫様ってこんなひとだったにちがいないわ。私なんかまるで子供よね。この人にくらべたら。
その時だった。ベッドに横たわっているオスカルの瞳がゆるゆると開いた。その瞳の美しい青さにエレナは驚いた。
「アンドレ‥‥その人はエレナ?初めまして。」
オスカルは微笑んだ。透き通るような笑顔だ、とエレナは思った。
つづく。
すみません、今回で終れなかったよ。今度こそ…今度こそ。