クリスマスシーズンになると毎年思う事がある。なぜみんなそんなに騒ぐのか。
今年のわしはどこも出かけず、パチンコも打たず、原稿を書く訳でもなく、グータラとテレビを観ておしまい。
そういうのを世間では「クリぼっち」とかいうらしいけど、そんな言葉自体が馬鹿らしい。
キリスト教信者でもないのに、とか小学生みたいな事を言うつもりはないですが、理由が無い事をやるのがわしは大嫌い。「何となく」とか「みんながやってるから」というのがそもそも理解できん。
本来のクリスマスは「キリスト降誕祭」を祝うもの。行事としては家族揃って七面鳥や鴨を食べる、クリスマスツリーを飾る、サンタさんが良い子にプレゼントをくれる、そんなところか。
わしも子供の頃は親がツリーを作ってくれたし、小学校を卒業するぐらいまではオカンサンタのプレゼントがとても楽しみでした。子供の夢はいつの時代でも大事にしたいもんです。
しかし「大人がクリスマスだから何かしなくては!」みたいな強迫観念にかられるのは意味不明。
わしが成人した頃はバブル最盛期だったので、恋人と二人で過ごさなくてはならない、お洒落なシティホテルを予約しなくてはならない。そういう風潮でしたが、恋人の有無や性行為がキリスト降誕祭に何の関係があるのか。このへんの話の続きはジャイロ先生にお任せして、次(笑)。
この十数年ほど不愉快なのは「チキンを食べなければならない」という風潮。
元々は30年ぐらい前に日本のケンタッキーが始めたキャンペーンがキッカケ。日本では七面鳥が手に入りにくいからフライドチキンで代用してもらおうという販促計画がそもそもの始まり。ケンタッキーのチキンではないけど、子供の頃はわしも骨付きの照り焼きチキンが楽しみでした。
イブの日に郊外のケンタッキーの前を通ると40台とか50台とか気絶しそうな長蛇の列。どう考えても2時間3時間はかかる思うけど、そこまでして食べなければいけないのか?
最近は予約が10月くらいから始まってるので、今はそこまで過剰でないかも知れんけど、ケンタッキー以外の外食産業でもこぞって「Xマスチキン予約受付中!」の貼り紙を見かけます。これが納得いかん。
牛丼屋、ココイチ、コンビニ、いたるところで「クリスマス唐揚げ」の予約を躍起になって宣伝してます。七面鳥の丸焼きの代用でケンタッキーはわからんでもないけど、唐揚げやナゲットがクリスマスといったい何の関連があるのか?
正月のお雑煮は一年の豊作と家族の健康を願って食べる。端午の節句では子供の健やかな成長を願ってちまきや柏餅を食べる。食べ物以外でも、お盆は戻ってくる先祖の霊を出迎える為にお参りしたり、地域ごとのお祭りや行事があって、様々な起源や由来があって現代に受け継がれてる訳です。
決して日本の行事は○で、西洋の行事が×というのではないです。何の理由も根拠もなく「やれ彼氏彼女と過ごそう」「チキンを食おう」と騒ぐのが馬鹿らしく思うのです。的外れすぎてカッコ悪いなと。本家の欧米諸国では全くやっていないことばかり。外国でアボカドの握りを「ニッポンの文化、素晴らしいデース♪」と言ってるようなもの。それが寿司の真髄だと思われては日本人として心外でしょう。アレンジは否定しませんが元々の姿から逸脱しすぎてしまうと滑稽でしかない。
バレンタインデーが「愛の告白」から「チョコを買わなくちゃいけない、贈らなくちゃ食べなくちゃ」みたいに変質していったのもそう。食品企業の策略だ!と言う人もいますが、企業の経済活動なのでそれ自体はアリやと思います。そんなもの乗せられずに無視すれば済むだけです。
しかしコンビニチキンも義理チョコもこれだけ買う人がいるという事は、企業の便乗押し売りに流される「何となく」国民が多いという事か…。
イブにこんな駄文を書いてるから、いつまで経っても「クリぼっち」て言われるんやろな(笑)。