今回の選挙は誰を選んでも消化不良でした…。
昔から支持政党はありませんが比例代表制が出来て初めて、小選挙区の政党と比例の政党を別々に選びました。
政党が乱立したわりに小選挙区の立候補者が少なくて、入れたい候補者がいなかった。
比例はこんなにたくさん政党があっても、選挙公約が自分の考えに合う党が1つもなかった。
いずれも消去法的な選び方になってしもたです。
選挙に行かないというのも「投票率」という形で反映されるので、民意を表してる事には違いないと思います。
しかしながら、自ら立候補するでもなく、投票もせず意思表示すらしないというのは、参政権の放棄でしかありません。
そんな考えの人は新しく生まれた政府がどんな滅茶苦茶な政策をとったとしても、文句は言えんはずです。
また、白紙投票も個人的にはアカンと思います。国会中継で議員がたまに棄権(欠席)をしてますが、あれとは全く意味合いが異なります。
法案の採決においては「賛成」か「反対」しかなく、結果も「可決」か「否決」のどちらかで決まります。
しかし所属する政党の党議拘束には反対ながら、国民から選ばれた一議員としての意思表示をすべく苦渋の選択で棄権(欠席)をするのだと考えます。
これも抗議の意思表示であったり、また多数決においての票の駆け引きであったりします。
だったらまず離党すべきゆう考えもあるとは思いますけど、そうすると自分を選んでくれた有権者に対する背信行為になるかも知れないので、難しいところです。
我々は何十万分の一票ですが、議員は数百分の一票なので物理的な重みが異なります。たった数票差で法案が通るか通らないかのせめぎ合いにおける場面では、賛成・反対以外の意思表示も止むを得ないのかも知れません。
国民に選ばれた以上、議員一人一人は最善の策を尽くしてるのでしょう。(…と思いたい)
ところが我々有権者が白紙を入れたところで選挙結果には一切反映されません。単なる無効票にすぎず、選挙管理委員会の手間を煩わせるだけの迷惑票だからです。
公選法が改正されて、白票が一定数以上に達すれば選挙はやり直しとかになれば白紙の意味は出てくるかも知れません。(仮にそうなって、やり直し選挙を何度やったとして、も同じ結果になれば国政に空白が生じますが)
白紙で投票するくらいなら家でこたつみかんしてるほうが、時間の使い方としてはよっぽど有意義です。
国会や自治体の議員投票は「○か×か?」を入れるものであり、議員を選ぶ選挙は「誰を推すか?」であり、最高裁判所判事の選挙は「誰を罷免すべきか?」を決める選挙なので、まずはその違いと意味を理解して臨まなアカンのではと思うのです。