運命は「野獣の時代」
怠慢の心を駆逐して災いから守ろう
若者たちに告ぐ。
「面倒くさい」「根拠のない大丈夫」
これが怠慢の心のソース。
人災を起こすから気をつけよう。
「大丈夫だよね」
なんの根拠もないのに、ついそう信じたくなる…。人を疑うことがまるで悪いことのように感じる…だから、大丈夫でしょ、と自分に言い聞かせる。私もそんなだった、日本にいた時は。
海外生活では、特に自己管理、自己責任の重要さを痛感します。
「大丈夫」って便利で気軽に使ってたけど、結局は考えることから逃げてる、避けてる、面倒くさいだけなのかも。
強盗やスリ、泥棒などの犯罪が多い国。
Pencuri pintar. Tapi kita harus lebih pintar. (泥棒は頭がいい。けれど私たちはもっと賢くならなければならない)
現地の人から、そう教わりました。
日本も例外ではないのですね。最近、ますます事件が多い気がします。
安全だったことも今は危険な場所に変わっていることを、私たちは気づかなければ身を守れませんね。
Marieさん、コメントを有難う!
ほんと、日本人は日常生活の中で、よく「大丈夫」なんて言うね。
あなたの言う通り、考えてみれば、私も日本にいる時はついつい使ってしまうことがあるが、不思議と外国にいる時は使っていない。
それだけ、日本は安全な国、だということなんですね。これまでは。
私は、特に、愚痴をこぼす相手に「大丈夫だよ」なんて言ってしまうことがある。そう言った後で、なんだか無責任だな、と反省する。
それって、何の心理が働いているのか?
そう言ってしまえば、相手が安心する? それとも、良心で相手を慰めているつもりなのか? よく考えみると、無責任だよね。
結局、あなたが言うように、考えることから逃げたい、避けてる。相手の愚痴を聞くのが面倒くさいのが本音かも。いやだね、怠慢とはこのことなんだよね。
自分(私)は、自分が大切な話をしているのに、相手に「大丈夫だよ」なんて言われると、「何が大丈夫だよ」なんて不愉快に思うことがよくある。結局、早く話を終わらせたいんでしょうと思うの。
また、未妊で悩んでいる生徒さんに心身の養生指導をしている最中に、その生徒さんに、「先生、私に大丈夫って言ってください、私は大丈夫だよ、って、そう言ってほしいんです!」なんてよくせがまれる。
その都度に私はこう答える、
「私が神なら、そう言ってあげたいのはやまやま。残念ながら、私は神ではないので、あなたがご自分で心身の養生して自分を守ってください。」
辞書を引いてみると、「大丈夫」の意味は、
立派な男子。しっかりしているさま。間違いなく。たしかに。とある。
ちなみに、北京語では、
「丈夫」とは、夫のことをいう。
「大丈夫」とは、立派な男のことをいう。
「大丈夫」と言った時、よく考えましょう、
「大丈夫」の根拠を探そう。
何を根拠に「大丈夫」って言ったんだろうって。
人は誰でも、根拠もなしに物事をおしはかってしまうことがある。それを言いだしてしまうと、ついつい意地になることもよくある。
これが争いを呼び込み「人災」を起こす。
だから、気をつけましょう。
あんどうよしみ