北朝鮮のラチ問題 ヤフーで公開 | 行灯の、ショックな話まみれ

北朝鮮のラチ問題 ヤフーで公開

ヤフー記事は削除が早いので アーカイブとしてコピペしときます

2023年4月17日のヤフーニュースです

https://news.yahoo.co.jp/articles/5df8be42598aa8a65811546243777d9406097592?s=09








「横田めぐみさんは北朝鮮で生きている」失踪から19年2カ月後に伝えられた衝撃の情報 母・早紀江さんは聖書手に「魂を和らげ静めた」






「行ってきます」。1977年11月15日朝、新潟市に住んでいた中学1年の横田めぐみさんはいつものように明るく自宅を出て、近くの中学に通った。だが13歳だった少女は帰宅することがなく「煙のように消えてしまった」(母早紀江さん)。それから19年2カ月余りたった97年1月末、衝撃的な情報が寄せられた。

 「お嬢さんが北朝鮮に連れて行かれ、生きているという話がある」

 早紀江さんに戦慄が走った。「生きていたんだ」と最初は喜んだが、すぐに「どうやったら連れ戻せるのか」と不安が膨らんだ。新たな苦難に直面した早紀江さんは、聖書を手にして心の支えにした胸の内を明かしてくれた。(聞き手、共同通信編集委員・三井潔)
 ▽天地がひっくり返る驚き

 長く不明のままだった娘の消息を知らされたのは「青天のへきれき」で「天地がひっくり返る驚き」だった。

 国会議員の秘書からお父さん(滋さん=2020年に87歳で死去)に連絡があり、一部の報道機関の取材も受けた。韓国に亡命した北朝鮮工作員の「証言」が発端だったと聞いた。


「良かった」。一報を耳にした時は心の底から喝采した。しかし安堵は疑念に変わる。「なぜ北朝鮮にいるのだろう」「病気はしていないだろうか」。疑問や懸念が次々と浮かび、顔面神経痛に悩まされた。胸がどきどきして背中がぞくぞくした。「めぐみは海の向こうの国交のない隣国にいるのか」。動転して気持ちが不安定になり、何度も倒れそうになった。

 1988年のソウル五輪前には大韓航空機爆破事件があり、北朝鮮の金賢姫工作員が拘束された。李恩恵とよばれる日本語教育係の存在が判明し、後に教育係は拉致された田口八重子さん=失踪時(22)=と分かった。94年には、北朝鮮の核開発を巡り朝鮮半島が緊迫した事態もあった。

 別世界の閉鎖国家が急に目の前に立ちはだかった。国際的な謀略の渦にのみ込まれた気がした。この時目にした聖書の一節が、動揺する自分に、神の恵みを待つ平安と勇気を与えてもらった。
 「主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇(くす)しいことに 私は足を踏み入れません。まことに私は 私のたましいを和らげ 静めました」(詩篇131章1、2節)



まさに「及びもつかない大きなこと」「奇しいこと」に巻き込まれた気がした。古代イスラエルの名君ダビデが神に祈る言葉を何度も目で追った。自身の罪深さと限界を自覚する王が、神にすべてを委ねる姿勢に琴線が触れた。

 ▽求められた覚悟

 私たち一家はこの時、「覚悟」を求められた。めぐみの名前を明らかにするかどうかだった。家族の意見は真っ二つに割れた。

 私は反対だった。「もし名前を公表したら(北朝鮮に)消されてしまうかもしれない。それで終わりになる」と主張した。情報が閉ざされた隣国への懸念があったからだ。

 だがお父さんは違った。「匿名だと一時的に話題になるだけですぐに忘れ去られてしまう」「YMさんだけでは信ぴょう性が薄い。危険があるかもしれないが、公開して世論に訴えたほうがいい」。普段は穏やかなのに珍しく強い口調だった。

 めぐみの4歳下で双子の拓也や哲也も大反対だった。「もし殺されたらどうするのか。お姉ちゃんがかわいそうだ。自分の娘を危険にさらすのは父親ではない」


だが夫の考えは揺るがなかった。「北朝鮮に対して日本がこれだけ情報を持っているとアピールできる」。夜中まで議論し最後は全員が夫の意見に従った。苦渋の判断だった。

 この時期、当時住んでいた川崎から新潟を訪ねる機会があった。かつて住んでいた家は更地になり、ザクロと梅の木、格子戸の門だけが残されていた。既に30歳を超えているめぐみは、日本海の向こうでどう過ごしているのか。胸が締め付けられた。

 ▽韓国で北朝鮮工作員と面会、板門店に立つ

 この年の3月中旬、お父さんと初めて韓国を訪れた。北朝鮮から亡命した工作員安明進氏と面会し、板門店にも足を運んだ。

 安氏は工作員養成機関の行事で88年、紺のスーツに白いブラウスを着て、笑顔で周囲と話していた「めぐみ似」の女性を見たと語った。上官が「新潟で少女の拉致に関与」し、自身も秘密活動に従事したことも語り、涙ぐんだ。政府の拉致認定にもつながる貴重な証言だった。






「めぐみと早く会いたい」

 再会への思いは募るばかりだった。

 この時期、北朝鮮の朝鮮労働党幹部が、韓国に亡命するというニュースで現地は緊迫していた。ソウルから板門店への道中、多くの戦車や武装兵がいた。恐怖で体が震えた。

 「朝鮮戦争は休戦しているだけだ」。分断国家の現実をまざまざと見せつけられた。板門店に立つと、無表情の北朝鮮兵が目に入った。遠くで北朝鮮のプロパガンダを放送する大音響が聞こえた。

 「めぐみはこの向こうにいるのか」

 38度線を目の前にすると悲しみがこみ上げてきた。「めぐみちゃん」。思わず大きな声で叫んでいた。応答はない。よく覚えていないが、お父さんは泣きじゃくっていたはずだ。「翼があれば飛んで行って助けたい」。娘もきっと「飛んで帰ってきたい」と思っているはずだ。






▽広がった支援の輪

 韓国から帰国後の3月下旬、同じ苦しみを抱える親らが集まり、拉致被害者家族会を結成した。お父さんが代表になり、全国各地で救出を訴える署名や講演、政府への陳情に奔走した。

家族会の当初のメンバーは、有本恵子さん=失踪時(23)=や蓮池薫さん(65)の両親ら9家族。同じ境遇の人が「なぜこんなにたくさんいるのか」と驚いた。新潟に住む蓮池さんの両親は、雨の日も雪の日も海岸線を夫婦で捜し回ったと明かしてくれた。私は日本地図に針を落とし「針先のどこかにめぐみがいるはず」と涙に暮れた日々を思い浮かべた。

 皆、愛する息子や娘を抱きしめられなくなって久しい。苦しみや悲しみを共有し家族との再会に向け、手を取り合って動き出せたのは「救い」だった。

 「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。


「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

 神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。私は決して揺るがされない」(詩篇62章1、2節)
 再びダビデの言葉を心に刻んだ。息子に裏切られるなど次々と襲いかかる苦難を、神への祈りを欠かさない謙虚さで乗り切る一節だ。心の重荷が下り、勇気づけられた思いだった。

 支援団体「救う会」が各地にでき、新潟時代からのキリスト教仲間も00年、東京で「祈り会」を立ち上げてくれた。

 広がる支援の輪は、私にとって「やぐら」となった。新たな闘いの渦中にあって心の中で繰り返しつぶやいていた。

 「私は決して揺るがされない」
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ずっと なんか言うだけの政治。

真実を知ってるだろうから仕方ないよね